2021年08月02日号
企業組織がいわゆる「大企業病」に侵され始めたならば、いくら「仕組みや制度改革」の旗を振ったとしても、いつしか途中で曖昧になるものだ。それは“面従腹背”と“馬耳東風”さらには最終的には「属人的なパワー」に期待してしまう意識が組織内に蔓延するからに他ならない。つまり、「笛吹けど踊らず」の状態になる。
概ね今日の企業組織にはこうした状態が蔓延している。そこで、トップから末端に至るまでのそれぞれの階層における「役割」と「責任」を明確にしていく“組織作り”と、一人ひとりが組織に自分自身を寄り添い過ぎず、仮託し過ぎて埋没させないという“働きの姿勢”を確立させていくという相矛盾する関係性の確立が急務となる。
企業組織においては個々人が組織とベクトルを合わせるのは当然のことである。しかし、個々人が自分自身の人生目標と企業組織が掲げる目標を一体化させる必要はない。むしろ、一体化させてしまうことの弊害が大きい。こうした意識は必然的に個々人が企業組織に対して過度な期待を持つという“偏愛”を生み出すことに繋がる。
こうした企業組織と個人の関係は健全なものではない。同時に何か自分に不都合なことが生じた瞬間に「会社に裏切られた…」などという本末転倒した感情も生まれる危険性がある。“偏愛”の感情は、結果として「会社へのぶら下がり依存」を生み出し、組織全体が朽ち果てていくことになる。
“偏愛”の感情は総じて高度経済成長期に形成された「日本的雇用システム」と呼ばれる仕組みによって助長されてきた。乱暴な表現ながらこの時期に形成された長期雇用制度と年功賃金制度により、個々の従業員は企業組織への「忠誠心」を抱く契機とはなりえた。しかし、従業員に組織への適用と適応を求めるあまり表面的な「平等」を重視する結果となった。
一方で過度に「企業一家主義」を強調することで、従業員の自らによる職務に対する責任や役割意識の醸成をさまたげてしまった。その結果、管理者の間にも部下指導上において達成課題を明示しない「曖昧さ」や「阿吽の呼吸」によるマネジメント、黙って先輩や上司のやり方を見ていれば、「そのうち業務に馴れてくる」式の単なるスキル偏重のマネジメントが蔓延る余地を作り出してしまった。
企業組織に身を置く場合に重要なのは、“自分の人生目標を組織での働きを通して達成していくという意識”を涵養していくことである。つまり組織と自分自身を緊張感ある関係にしておくことである。組織体と個人の関係を「緊張した関係」と位置づけるのは、言葉でいうのは簡単だが現実問題となると非常に難しい。何故ならば自立・自律した主体として組織と向き合う意識の形成が前提となるからだ。
自立・自律した主体の形成は、単に学習や研修の機会を増やせば自然に醸成されるものでもない。確かに企業組織は一人ひとりに成長する機会を提供することはできる。しかし、あくまでも職務能力を高めるための機会提供に過ぎない。まして企業組織は個々人の成長についての最終責任を負うことはできない。また、自立・自律した主体の形成は、職場での日常的な実践活動を通した職務能力の向上の延長線上に自然に形成されるものではない。あくまでも個々人の目的意識性が問われることになる。従って、自分の成長に最大の責任を持っているのは、最終的に自分自身である。
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