2020年08月31日号
経営上のすべての責任はいうまでもなく経営トップにある。また、管理的職務に就く者は経営権の分担行使者である。従って、管理職は法律的にも経営者と同等の責任が問われる場合がある。ジョブ型雇用とはこの立場や観点が全ての従業員に求められることとなる。果たすべき職務内容が明確であるということは、その職務に対する職責を自らが果たさなければならないということだ。
“自分は一般社員だから経営に対する責任を負わなくてよい”という発想は、ジョブ型雇用でますます通用しなくなる。そもそも雇用形態に関わらずこんな思いで仕事をしていては、企業業績や市場、顧客に対して「自分には責任はない」という意識につながってしまう。
メンバーシップ型雇用では従業員が「事なかれ主義」に陥る弊害が強調されてきた。現実的に職場内や業務においては、往々にして「社会的な手抜き」が発生する弊害もあった。さらには、周囲の顔色ばかりを伺って行動する「風見鶏」のような業務姿勢であっても、「メンバー間における調和」がとれている限りにおいて許されてきた。いや放置されてきたといっても過言ではない。調和を保つことが美徳であると受け取られてきたからだ。この結果「出る杭は打たれる」という組織風土が形成されてしまう傾向もあった。
「メンバー間における調和」を重視する発想は採用場面においてもあらわれた。つまり、ことさらに「コミュニケーション力の有無」という判断基準が先行し、個々の職務遂行能力を軽視する傾向さえあった。この傾向はとりわけ新卒採用において顕著にあらわれ、「白紙の状態の新人を採用して自社のカラーに染める」という発想も横行していた。もちろん個々人の「コミュニケーション力」は組織体において重要なファクターである。しかし、ジョブ型雇用においては「コミュニケーション力」を単純に「付き合いの良さ」や「黙って言うことを聞いてくれる従順さ」であるかのような錯覚から脱しきれない現場管理職の存在が組織の桎梏ともなる。
企業が組織体である以上、縦割りの指示・命令機能が存在する。正当な理由がなければ上司からの業務命令は拒否できない。たとえ自分が指示・命令に対して反対であっても、決定されたことに従うのが組織のルールである。しかし、企業組織での働き方で忘れてはならないことは、「最終的な責任は自分にはない」という意識を払拭することだ。一人の働く者の姿勢として、「会社の命令だから…」という逃げ道を自分に用意しまうことは、自分の仕事に無責任な態度ということだ。
ジョブ型雇用ではこの姿勢がシビアに問われることになる。組織の上席者からの指示・命令に従っているだけであれば、自分の意志や考えを持つことさえ必要がないことになる。ジョブ型雇用において大切なのは経営陣や上司の意向に沿った実践行動を計画し、結果を出すための創造的な取り組みをすることである。
ジョブ型雇用の働きで一人ひとりに求められるのは、企業の業績に対する自らの貢献に責任をもって臨むということだ。常に「外部環境と内部環境を見据え企業の現状の中でどんなことが可能だろうか」という視点を養う必要がある。こうした視点がなければ、経営陣や上司が納得するような提言もすることができない。つまり、たとえ一従業員であっても企業の方向に対しては、経営陣と同等の意識を持つことが要求される。
こうした自覚がなければ、自分が属している企業組織が向かっている方向に疑問や誤りを感じたときに覚悟をもって「意見や提言」をすることもできない。「自分には責任がない」という発想が頭の片隅にあれば、仮に的確な「意見や提言」であったとしても、周りから見れば単なる「不満の発散」と受け取られるだけである。ジョブ型雇用とは常に企業の方向性や将来を見据えて主体的に「舵取りを行なう」という働き方が問われるということである。
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