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週刊Neue Fahne

2019年09月23日号

相手の判断基準は自分の行動である

上司・先輩から受ける業務上の指摘ほど貴重なものはない。ところが何度が同じ指摘を受けていると、何時しか何もいわれなくなることがある。指摘を受けなくなるということは、自分が仕事を十全に行うことができると判断された場合である。しかし、もう一方で「相手にされなくなった」場合にも指摘を受けなくなることが発生する。
  この場合には「指摘をしても、理解できない奴」ないし「学習効果が無い奴」という烙印を押されたということだ。つまり無視される存在になるということだ。他者から指摘された事柄について「わかる」(=理解する)ということは、自らが指摘された事柄を繰り返さないという行動をとるということである。つまり、「行動を変える」ということである。

 仕事上では深く相手の性格や価値観を理解することはできない。「上司・先輩が自分のことを理解してくれない」と不満を口にする若手社員がいる。しかし、いくら日常業務で近くにいる存在であったとしても、互いに違う生育環境で育ってきた者同士が、相手の深層面まで深く理解することはできない。まして「阿吽の呼吸」などを求めることは不可能だ。つまり、自分がさまざまな場面でとる行動でしか、相手は自分を理解することができないものである。
 相手からの「指摘」を受けるということは、自分のとった行動が相手に「不快感」を与えてしまったたり、「良くない行動である」「未熟である」と判断されたということなのである。また、「わかる」ということと、「できる」ということは違うものだ。いい方を換えると、「できないのは、わかっていないからだ」ということになる。どんなに素晴らしい発言を繰り返しても、どんなに立派な目標を掲げても、自分の行動が伴わないのならまったく意味がない。周りも決して認めてくれるものではない。
  
  仕事とは、立派な計画書をつくることでも、企画を練りあげることでもない。また、どんなに上手に相手に説明したところで、それを自分自身が実行に移してはじめて仕事といえるのである。行動を伴わないものは、単なる「夢想」で終わってしまうということだ。まして、美辞麗句や知識だけでは、相手は何も理解することはできない。
  企業組織での仕事は、常にチームプレーで展開されることを意識しなければならない。従って「自分の守備範囲はこれだ」と限定してしまうと、周りから「参画」意識が乏しいと評価されることになる。もちろん自分自身が責任を全うしなければならない事柄に対して、ことさら「共同責任」を求めるのは無責任でもある。

  自分一人ですべての問題を解決するのではなく、周囲を巻き込んで問題を解決していくという姿勢が重要だ。表面的に飾っても内容が伴っていなければ無意味であるし、すぐに見透かされるものだ。周りの人びとは自分の行動を非常によく観察しているものだ。そして、周りのひとが判断できる基準は、自分の行動でしかないと肝に銘じておく必要がある。

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