2019年02月04日号
機能集団である会社組織で働くということは、職務に専念する義務を負うということでもある。従って、自分勝手が許されるはずもない。企業組織では自分がやりたくない事柄でもやらなければならないことが往々に発生する。時にはこれまでの考え方を180度転換させなければならないことも発生する。ただし、これは企業の果たすべき社会的責任とコンプライアンスの範疇での事柄だ。
これに対して当初は不満を感じ、時には反発を抱くことがあるかもしれない。しかし、会社組織で行うどんな仕事にも、それを成し遂げなければならない理由、意味が必ず存在している。仕事に対して不満や反発を抱いたならば、先ず、率先して自分からその仕事を実行する意味を自らに問いかけてみる必要がある。
今日の日本企業における新卒者採用では、いまだに「職務無限定」での採用が行われている。つまり、「このような業務を行ってもらう」という明確な職務遂行範囲を前提として採用するわけではない。従って、新卒者は「職務遂行ができる人材」として採用されるわけではない。あくまでも企業は、「将来的に自社で活躍してくれそうな人、戦力となり得ると思われる人」という抽象的な判断で採用し、各種の育成や訓練を施していく手法をとる。
そこで、新人が企業組織において「人材」へと成長していくためには、自分の属する組織が「何を目指し、何を考え、何を判断基準としているのか」を我がものとして理解していく必要がある。また、日々の業務実践を通して職務遂行能力を磨いていかなければならない。これを怠るならば、組織と個人の意識に大きな隔たりを生み出すことになる。
たとえば、新人にとって自分が犯した「失敗」は恥であり、可能な限り自分の「失敗」を表には出したくないものだ。このため、失敗した理由をともすると「環境が悪い」「上司の指示が曖昧であった」「同僚が非協力的」という具合に周りに求めようとする。一方、会社組織からするならば、新人が「失敗」を犯すのは当然のことであり、ある種の「含み損」と考えて成長過程であると位置づけることができる。
ただし、同種の「失敗」をいつまでも繰り返していると事情は変化することになる。同じ失敗を繰り返す者は、「学習効果がない人」という評価がなされることになる。また、自分が犯した「失敗」を転嫁する行為は最も唾棄されることになる。
入社した新人は上司や先輩から「基本を大切にして、あわてず、焦らずに仕事を覚えなさい」とアドバイスを受ける。しかし、この言葉には「新人は仕事を直ぐに覚える必要がない」という意味が込められているわけでは決してない。この言葉には、“あせって間違って覚えられては、仕事を指示する側が困る”という意味で込められていることを理解する必要がある。
仕事を指示する上司・先輩の本音は「間違った事柄を真剣に実行されるほど始末に悪いものはない」ということだ。新人は失敗を恐れることなく、可能な限り仕事を早く、正確に覚えて一人でできるようになければならない。これは基本中の基本であり、自らを「人材」として周囲に認知してもらうための近道である。
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