2017年08月07日号
管理職は部下よりも「職場経験が豊富である」という理由で役職に就くわけではない。また、部下の意見をまとめるだけでは職責を果たしていることにはならない。あくまでも自ら新しい発想、新しい企画を提案し、部下に新しい情報を教えることができなければ職責を果たしていることにはならない。
この場合の情報とは単に業界情報のみを意味していない。ましてや社内情報などではない。これからの社会やマーケットの帰趨を予見することができる情報を提供するという意味である。ただし、この種の情報は漫然と日常業務を繰り返していれば習得できるものではなく、不断に新しい事柄を意識的に先取する必要がある。
管理職の「まとめ役」としての機能は、部下の意見を吸い上げるとともに相互コンセンサスづくりを行っていくうえで重要なものである。しかし、「まとめ役」だけに埋没しているならば、単なる「調整屋」で終わることになる。管理職には、自分でも企画を立て、問題解決を提案し、部下以上に改善・改革に貢献しなければならない。こうした行為を行うことが本来の「率先垂範」ということである。「率先垂範」を自分が何もかも行うことであると理解してしまうならば、単純なプレーヤーの域を出ることはではない。
管理職とは、「部下に業務を正しく行わせるということである」ということである。このため、管理職は、過去の経験だけにあぐらをかいてはならない。過去の経験だけにあぐらをかいて部下より一段高い立場からの「まとめ役」「調整役」に徹している管理職は、早晩部下から見透かされることになる。
管理職は「この上司からは、学ぶことがたくさんある」と、部下が思えるような存在でなければならない。部下から見て「吸収すべき新しい情報や発想がない」と思われる管理職は、当然のことながら職場でガバナンスを行使することなどできない。ところで、管理職という職責を単なる経験の蓄積というレベルでとらえてしまうならば、経験を積むほど勉強を疎かにするという弊害を生むことにもなる。
この結果、部下に物事を教えようにも、教えるべき新しい情報を持ってなく、しまいには部下の提案や意見に対して過去の価値基準でしか対応することができなくなる。この行きつく先は部下の意見には文句ばかりつけ、「代案なき否定」の連発を繰り返し部下からの顰蹙を買うということにつながる。
部下は自分自身が抱えている課題や問題に対して上司からの支援やアドバイスを求めるものである。時には上司から「自分だったらこう考える」という発言を求めるものである。管理職は部下の至らない発想や稚拙な意見に対して、明確な代案で応える必要がある。あるいはすぐに明確な代案を出せない場合でも、少なくとも部下に対して答えを導くための方向性やヒントを示していかなければならない。今日のスピード感のある経営環境では、漫然とした日常業務の繰り返しや過去の経験則のみでは部下に方向性やヒントを与えることができない。従って、管理職自身がこれまでの経験則に固執することなく新たな知識習得に向けた学習が不可欠となる。
つまり、管理職は新しい情報をたくさん仕入れ、勉強熱心でなければ務まらないということだ。こうした学びのある管理職の下では、部下も自助努力の必要性を理解するものである。管理職は「部下とともに自らが成長する」という謙虚さを持ち、好奇心旺盛で、勉強熱心でなければならない。
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