2017年05月29日号
管理職は自分自身が「組織に必要な部下指導である」との確信を持つのであれば、結果として部下の退職を恐れてはならない。転職市場における有効求人倍率が高く、欠員募集もままならない時代といわれている。
新卒・中途も含めてなかなか思い通りには人材を採用することができない時代である。さらに現実問題として“どこの企業組織でも通用する業務能力と組織能力”を備えた人材などは、それほど外部労働市場に存在している訳でもない。
こうした状況の下で管理職はともすると部下の行為・行動に対して、苦言を呈し指導的観点での批判や叱責を躊躇いがちになるものだ。「いい過ぎると退職してしまうのではないか…」という心理に陥るからだ。同時に直属の部下の中から退職者を出すというのは、「指導力を疑われるのでは…」と自分のマネジメント能力の評価を心配したりもする。
しかし、「退職させてはならない」という気持ちが先に立つと、必要以上に部下に気を使うことになる。まして、ハレ物にさわるような扱いでは、部下を成長させることはできない。部下の退職を恐れて部下の行為・行動に対してマネジメントすることを怠るならば、おのずと職場のガバナンスは崩れてしまうのである。
仮に適切な指導をした結果、部下が退職したとしても、「それはそれで致し方がない」という割り切りが管理職には必要となる。「退職してしまうかもしれない」という恐れを抱くあまり、管理職が自らの取るべき指導的行動を崩しては、職場から徐々に組織性が失われ烏合の集団と化していくことになる。
特に昨今の過度な「ブラック企業批判」の影響を受けてなのか、役割として存在している“指導”という本来業務から逃避する管理職が増えている。また、“部下からの評価”を気にするという本末転倒の現象もあらわれている。そもそも管理職は部下以上の責任を背負っている。従って、上司よりも責任範囲が少ない部下からの評価などを気にし始めたならば、“部下指導は成立しない”という割り切りも必要となる。
管理職が部下の退職を恐れる心理には、部下指導に対する自信の欠如が見え隠れするものだ。部下が退職する場合には必ず予兆があるはずだ。仮に部下の退職が「寝耳に水」であるならば、管理職は自らの不明を恥じなければならない。何故ならば“如何に自分が部下に関心を持ってこなかったのか”という証左でもあるからだ。
この部下への関心のなさや配慮不足とは、部下の行為・行動を傍観するという行為となってあらわれてくる。管理職は部下の行為・行動に対して「見て見ぬふり」をすることなく、指導的立場で果敢に関わりを持っていかなければならない。そして部下から嫌われたり、怖がられたりすることを恐れずに部下の成長に責任を持たなければならない。この意味から部下の成長は管理職の成長を写す鏡でもある。
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