2016年12月05日号
管理職は自らの知識・技術・経験・能力を駆使して付加価値を生み出し続けなければならない。ゆめゆめにも“会社に対して時間労働を提供している”などと錯覚を起こしてはならない。残業削減や長時間労働の削減等を含めた「働き方改革」が叫ばれている。
管理職は「働き方改革」を単に「時間労働を削減すればよい」という問題に矮小化するのではなく、自らと部下の生産性向上の問題であると認識する必要がある。同時に部下に対しても常に費やした時間労働を評価するのではなく“達成した結果”を重視するという姿勢を堅持しなければならない。
ビジネス現場では、常に結果が求められ“結果に対する責任”が問われる。従って、管理職は“結果責任は自らに帰する”ということを前提にしなければならず、“できなかった理由探し”をしてはならない。とりわけ自らが掲げた目標設定が未達成であった場合に“未達の理由を探す”などは愚行であり、言い訳や愚痴に過ぎないということを肝に銘じる必要がある。
まして未達成の原因を部下や周囲に転嫁するなどの行為や発言は“天に唾する”ものである。仮に責任転嫁に成功して上手くやり過ごすことができたとしても、こうした管理職の悪弊を部下は必ず見ている。すると部下は上司の指示を受け流すようになったり、素直に指示や命令を聞かなくなったりする。しまいには部下同士の責任のなすり合いが常態化して組織に評論家が横行することになる。この行き着く先は職場ガバナンスの崩壊である。
“目標が達成できなかった責任は自らに起因している”との内省ができない管理職は、自己の成長はおよか、部下を育成することもできない。目標達成ができない場合に往々にして「そもそも与えられた目標が過重であった」と自己を合理化する管理職がいる。しかし、こうした管理職はそもそも「目標」を単に“上から与えられたもの”と捉えていることになる。つまり、目標設定とは本来“自らが設定するものである”という原則を理解していないということだ。
こうした発想を行っていると目標は主体化されず、日常業務も全て他人事に終始することになる。また、設定した目標に向けたプロセスにおいて適時適切な修正を加えることもなく、業務自体がルーチンに陥ることになる。このため、いつしか自らの業務行動それ自身が「時間労働」であるとの錯覚に陥ることにもなる。
管理職は会社に対して“時間の切り売り“をしているわけではない。また、「知識・技術・能力・経験」それ自体を売っている訳でもない。この種の発想をしているならば「与えられた仕事はただやればよい」ということになる。管理職にとって重要なのは自らの「知識・技術・能力・経験」を駆使して自らの仕事から付加価値を生み出すということだ。そして部下に対しては、この姿勢をしっかりと自らの業務行動を通して示していかなければならない。
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