2016年11月21日号
管理職は完璧である必要はない。むしろ「無謬でなければならない」などと考えている管理職は危険である。自らは「間違った判断を下す場合がある」と思っていなければならない。問題は判断ミスを犯したならば、率直にその非を認めるということだ。
また、判断の時点で部下の意見を押し切ったとしても、後々に「部下の意見が正しかった」という場合もある。この種の判断ミスに対して管理職は、潔く判断ミスを認める勇気も必要だ。意地になって間違いに固執し続けるならば逆に管理職としての統治能力を失うことになる。管理職は決して感情的にならず、あくまでも仕事上の判断として、冷静に合理的に対処することが大切だ。この姿勢を堅持することも部下指導の一つである。
管理職にとっての冷静で合理的な対処は、とりわけ部下への指導局面に発揮されなければならない。これは自らの信念を堅持して部下指導を行うということであり、時には部下の退職を恐れずに厳しく指導するということでもある。
もしある日突然に部下からの辞表を前にして「寝耳に水だ」などと感じるのであれば、それはいかに部下に関心を持っていないかという証拠でもある。この関心のなさ、配慮のなさが部下の退職の決意につながっている可能性があると自戒する必要がある。
優秀な部下などは最初から採用できるものではない。このため得てして自分が育てた社員に退職されては困るとの思いにもなる。もちろん管理職は、部下の中から退職者を出すというのは、自らの指導性が問われるとの自覚も必要だ。
しかし、管理職が注意しなければならないのは「優秀な部下」の定義だ。自分の思い通りに動いてくれる部下を「優秀な部下」であると錯覚している管理職もいる。「退職させてはならない」という気持ちが先に立つと、部下に阿ることにもなる。部下への必要以上の気遣いは、逆に部下の成長を阻害する結果にもなる。
管理職は“最初から優秀な部下など存在せず、優秀であればあるほど辞める可能性が高い”ということを前提にしなければならない。むしろ“早く自分と同程度ないし、自分を超える職務能力をつけさせる”という意識で臨む必要がある。こうした意識があれば、部下の成長に関心を持ち、“部下から嫌われたくない”という意識を払拭して、部下との間で健全な緊張感を保つことができる。
仮に管理職が適切な指導をしたことが原因で辞めるのなら致し方ないとの割り切りも必要だ。管理職は“辞められるかもしれない”“辞められては困る”との心理から部下指導に手を拭いてはならない。
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