2016年08月22日号
管理職の重要な任務は部下指導であることは当然のことだ。このため管理職は、あくまでも“自分が部下を如何にして動かすか”という点に問題意識が集中しがちになるものだ。確かにこの視点は誤りではない。しかし、この視点のみで部下と接していると意図しない軋轢を部下との間に生み出す危険性もある。
もちろん、人間性をも含めてすべての部下を圧倒するだけの業務知識やビジネス感覚に裏打ちされた有形無形の権威(パワー)を保持しているのであれば別だ。しかし、この種のスーパーマン的管理職は残念ながら存在していない。仮にこの種のスーパーマン的管理職に憧れ、管理職が分不相応な姿勢をとるならば、早晩“身度ほどをわきまえない”との誹りを受けることになる。
管理職はあくまでも機能として自らの役割を果たす必要がある。つまり、管理職の職務を個人属性に還元してはならないということだ。従って、管理職が自らの役割を全うしていくためには、単に権威に頼ることなく部下に対して“如何にして「上司の力」を上手に利用できるか”という視点を教えることだ。つまり、部下に対して“上司を通じて会社を動かす”ということを実感させることも管理職の部下指導の重要な役割であるということだ。一言でいうならば、“管理職は部下に「使われる」度量を持つ”ということでもある。
繰り返しになるが、上司は部下を使う立場にある。あくまでもこれが基本である。一方で部下に上手に「使われる」存在になることを“潔い”としない管理職は、ある意味で自らの役割認知に乏しい私利私欲が先行していることになる。管理職が部下に使われるということは、要するに上司としての自分の力を、部下に利用させてあげるということである。会社という組織の仕組みの中では、部下がどんなに意欲を持っていても、おかれたポジションに規定されてできない仕事が存在する。こうした状況にある部下に対して、管理職は上司である自分の権限を使って部下に仕事をさせることが可能となる場合がある。これが“部下に使われる”ということである。
管理職が部下に使われるとは、部下に対して“上司のパワーの使い方”や“会社の仕組み“を教えることに直結することになる。つまり、部下に対して“自分がどのような行動を取れば上司は動くのか”を考えるということだ。ただし、管理職が部下の“御用聞き”をする必要はない。仮にこのような態度を取る管理職は、即座に部下から見限られることになる。
従って、管理職は部下に対して“使われるための条件が存在する”ということを明確に伝えておく必要がある。条件とは部下自らが自分の頭で考えて組織貢献に向けて自分の提案を本心から通そうとい気概の有無だ。管理職は部下の安易な「こうなればよい」「こうしてほしい」などという他力本願な願望のために使われてはならない。
管理職も決して部下に向かって他力本願な願望を吐露するなどの姿勢を見せてはならない。部下の他力本願な願望への対応行為は、管理職の側からの部下への単なるオモネリにつながる。管理職が部下に使われるのは、部下に対して“会社という組織を動かす面白さ”を教えるためであることを忘れてはならない。もちろん、管理職自身が自らの働きを持って会社という組織を動かす面白さを実感していなければ、部下に伝わり様もない。
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