2016年01月25日号
管理職は業務経験の蓄積や業績結果のみに甘んじてはならない。また、部下の意見を上手に“まとめる”だけでは務まらない。常に自ら新しい発想や企画を提案しながら、部下を牽引していくために情報収集を行っていかなければ、部下から上司と認められ頼られる存在になることはできない。
もちろん、管理職は暴君であってはならず、広く部下の意見を吸い上げ調整する機能を果たす必要がある。しかし、単なる“まとめ役”に徹する管理職は、機能の一部を果たしているに過ぎない。
管理職は、職務知識に限らず様々な知識や新たな情報を貪欲に吸収し、部下に新しい企画や問題発見・解決の提案を指示さなければ組織貢献することはできない。なぜならば、管理職の視点は単に職場だけに留まってはならず、組織全体に対して責任を持たなければならないからだ。つまり、管理職は近視眼的に自らの担当する部門・部署のみに関心を払うのではなく、組織の帰趨を背負うという役割を自覚的に果たすためである。
このため、管理職はあらゆる方面や事柄から“学び”、広い知識と知見を深める努力を惜しんではならない。さもなければ部下から「この上司からは、学ぶべきことがない」と烙印を押されることになる。部下から見て“学びの対象”とならない管理職ほど哀れな存在はない。この種の管理職は、部下から「自分よりも高い給料を取っているわりには、大した仕事をしている訳でもない…」と陰口の対象になるのが関の山だ。
過去の経験だけにあぐらをかき、上から目線で部下と接している管理職は、部下から精神的に離反されることになる。もちろん、管理職は精神的に離反している部下に対しても権威を行使して自らに従わせることはできる。ところが、部下は面従腹背に徹することになる。これは、部下が上司を見限ったということを意味していることでもある。部下から見限られた管理職は部下の嘲笑の的となり、遅かれ早かれガバナンスが崩壊することになる。
この種の管理職の特長は一つの経験や職務範囲の枠に囚われて“自ら勉強をしない”ということだ。
とりわけ、新しい情報を吸収し“学ぶ”行為を怠る“管理職は、自らの役割意識が欠如していることになる。“学ぶ”行為を怠る管理職は、部下の意見に文句ばかりつけることになる。さらに部下からの提案や意見に対して、「代案なき否定」を繰り返し、自ら判断することもなく上席者にお伺いを立てることに終始することになる。これでは部下も嫌気がさすのが当然である。
“学び”を忘れた管理職の行き着く先は、自分の属する組織の抱える問題について、無責任に批判、否定を無自覚に繰り返す“組織破壊者”に転嫁することになる。
部下が上司に求めるものは、上司の「自分だったらこう考える」という発言や姿勢だ。管理職は部下からの意見具申や問題提起に対して、説得性のある方向性やヒントを自分の考えとして示すことができなければならない。こうした上司であるからこそ、部下も上司に負けない意見を述べようと自らの“学び”を心がけるようになる。管理職が新しい情報を仕入れ、勉強熱心でなければ部下の“学び”は形成されることはない。管理職の行う部下育成は、自らの“学び”がなければ成立しない。
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