2016年02月08日号
「リストラ」とは本来は企業の組織再編成を指す言葉であったが、いつしか短絡的に「解雇」の意味として用いられるようになった。一昔前であれば企業の解雇を伴う「雇用調整」は業績と連動していた。つまり、業績が悪化すると企業は企業内余剰労働の調整を実施するのが一般的であった。
ところが、最近ではたとえ企業業績が堅調であったとしても恒常的に雇用の調整を実施するようになった。しかも、雇用調整の対象は従来のように一定の年齢枠に該当して限定実施するものではなく、あくまでもパフォーマンスの低い人材に的が絞られているようになっている。このため、雇用調整は年齢枠ではなくすべての従業員が対象となっている。
年齢や社歴に関わりなく“企業の業績に貢献していない”と評価された者は、恒常的に「雇用調整」の対象になるということだ。また、企業によっては中長期的な従業員の年齢構成バランスを図るため、大きな塊となっている世代の従業員を計画的に調整するなどの措置をとり始めている。この種の雇用調整は今後ますます一般化することになる。つまり、業績悪化への対応という一過性の限定されたリストラから“常時リストラ”の時代ということだ。
“常時リストラ”の時代で企業は、個々の従業員に対する「評価」をより鮮明にすることになる。このため、一人ひとりの従業員は自らの働きを自分自身でしっかりと精査していかなければならない。同時に管理職には部下の働きの度合いを単なる情意に沿うことなく明確な基準に基づいた評価実践が求められるようになる。当然のことながら評価基準は個々の企業によって異なる。しかし、どこの企業であっても「評価」において前提となる視点はほとんど同じである。それは相応のポジションにおいて備わっていなければならない役割姿勢が欠如している者は、現在の役職や年齢に関わらず「雇用調整」の対象になるということだ。
仮に日常のルーチンワークであっても、“なぜその仕事をするのか” “なぜ自分が行う必要があるのか”を自分の頭で考え、問いかけることが求められる。この問いかけを怠り単に平々凡々と漠然と日常業務を“コツコツと処理”することで満足している者は、“新たな成果を生み出すことや成長も期待できない”と評価されることになる。この種の者は“仕事を任せて安心”という「評価」を決して得ることはできない。何故ならば仕事の目的を自ら明確に見定め、GOALに向けた段取り設定を展開する能力に劣ると判断されるからだ。また、成果を引き出すために他者や他部門との連携を取りながら協働する意欲に欠けると位置づけられてしまう。組織コミュニケーションの観点からは、“一人で真面目にコツコツとルーチンワークをこなす”は決して美徳とはならない。
企業組織での仕事は最初から最後まで一人で完結するものではない。このため仕事を指示する側も受ける側も認識の違いを発生させないために曖昧な点を残さないようにすることが重要となる。時には喧々諤々の議論が生じてしかるべきだ。ルーチンワークに終始していると何時しか仕事の“目的”と“意味づけ”を曖昧化させることにつながる。この種の働き方では決してキャリアが次につながらずルーチンワーク作業に終始することになる。
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