2015年11月30日号
“風下に立ちたくない”との思いが強く、同僚はもとより後輩から教えを乞うことを極端に嫌う者がいる。こうした偏狭な思いの者が仮にある部門の管理職になった場合には、当該部門の衰退がはじまることになる。もちろん“部下のご機嫌取り”に終始する管理職は論外なのだが、むしろ偏狭な管理職と比較するならばまだましかもしれない。偏狭な管理職は“風下に立ちたくない”と思うばかりではなく、時として部下への強い嫉妬心を抱いたりもするので極めて危険な存在ともなる。
困ったことに組織の衰退が明確になって初めて、その原因がこの種の管理職の存在にあったことがわかるので始末に悪い。
管理職は常に“部下を使う立場にある”とともに“部下に上手に使われる”ということも、自らの役割であると意識する必要がある。“部下に使われる”というのは、要するに管理職としての自分の力を、部下に利用させてあげるということである。会社という組織の仕組みの中では、部下がどんなに意欲を持っていても置かれた立場に規定されてできない仕事がある。こうした場合に管理職の側が、自分の権限を行使して部下に仕事をさせることが、“部下に使われる”ということだ。
“部下に使われる”とは、部下のいいなりになるということではなく、部下に自分のやりたい仕事を遂行するために周囲を巻き込むことの重要性を理解させるということでもある。同時に前提は部下の意欲度合いを判断していなければならない。
管理職は部下が上司の力を上手に利用できるように導くとは、部下に対して組織の在り様を教えるのと同じである。つまり、自分の組織を利用して自分がやりたいことを実現していくという慶びを体得することが出来るようになるからだ。さらにいえば、「上司の使い方」を部下に学ばせることにより、部下は上司を通じて会社という組織を動かせることを実感できるようになるからだ。管理職が部下に「上司の活用方法」を教えることは、とりもなおさず「会社の仕組みを教えること」と同じことでもある。
“部下に上手に使われる”ことは、管理職にとって恥でもなければ甘くみられる事でもなく、高度な部下育成と同語もある。
部下の目線は常に上を向いているものだ。このため部下は管理職の動きを通して組織における自分の活用方法を知ることになる。そこで管理職の側には“部下に使われることが部下の育成につながる”という度量が備わっていなければならない。この度量に劣る管理職は部下と無意味な競争を行っているに過ぎない。
一方で管理職は、部下に対して「上司を使うことは、それだけリスクを負うことでもある」ということを自覚させなければならない。なぜなら、“上司を使う”という意味が、とりもなおさず、部下の失敗は管理職の失敗ということになるからである。管理職は部下から使われることに対して“逡巡”することなく、部下の柔軟な発想と大胆な行動力を受け入れる度量があることを自ら発信していかなければならない。これは管理職に必要なリスクテイクの発想でもある。
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