2011年04月11日号
入社早々に「自分のやっている仕事は、雑用に過ぎない」と不満を抱く新入社員が増えている。なかには、入社時のイメージと実際の仕事内容にギャップを感じて、「この会社では自分の個性が活かされない」「いまの会社では自分の本当にやりたいことが出来ない」といって、早々に退職してしまう人もいる。
こうした状況の背景には、就職を控えた学生への過度で急ごしらえの「キャリア教育」の弊害があるのかもしれない。
そもそも20歳前後の若者に対して「自分のキャリアや適職は何かなどを考えろ」などというのは、酷であるとさえいえる。
過度なキャリア教育は弊害として自分の能力への過信や仕事に対する一方的な思い込みを助長して、希望する職種や仕事以外のものを除外して考えてしまう者さえ発生させてしまっている。
当然のことながら仕事のキャリアなどは最初から個々人に備わっているわけではない。会社でのさまざまな仕事経験を通した成功・失敗体験の蓄積が、仕事のキャリアとしてその人の身につくものだ、ということを忘れてはならない。
確かに会社での業務は多岐にわたり、一見すると雑用と思われる仕事もたくさんある。そして、往々にしてこれらの仕事は、新入社員や入社年次の浅い若手社員に回ってくるものである。時として、「間尺に合わない」こともある。
しかし、会社での仕事に「小さな仕事」も「大きな仕事」の区別があるわけではない。必ず何らかの理由があって行われているものだ。自分に与えられた仕事に対して「雑用仕事で本来の仕事ではない」と感じているのであれば、会社の業務全体を理解せず、目先のことにとらわれて広く周りを見ていない証拠だ。
また、希望する部署に配属されなかったときも同様である。「やりたくない仕事だから」と投げやりな姿勢を取ってしまうならば、即座に周りから「こまった君」という評価が下される。
会社全体の業務を支えているのは、縦横に入り組んだ仕事の集積なのだ。自分に課せられている仕事は、数多くの業務のなかの一部を構成しているということだ。まず、今現在の自分の仕事を自分なりに会社全体の業務の中から位置づけ直してみることだ。
与えられた仕事に真剣に取り組むことでさまざまな経験ができる。その経験が将来の自分のプラスになるのである。当初は自分には合わないと思っているものでも、いざやってみると、自分でも気づかなかった職務の適性を発見したり、仕事の奥深さや面白さを見出して「キャリア」が形成されるものだ。
会社の仕事は、すべてが“必要な仕事”であり、その仕事が存在しているのには、その理由があるのだ。しかし、仕事の“えり好み”をしていては、その理由する察知することはできない。
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