2012年06月25日号
孵化(ふか)したばかりのひな鳥は、常に口ばしを大きく開けて親鳥が運んでくるエサを待っている。中には他の雛を蹴落として自らがエサを確保する。
そんな雛鳥に対して親鳥は、ある時点で一切エサを与えなくなる。そして成長に伴い巣立ち自らエサを探す。鳥に限らず自然界での動物の子育ては非常に厳しく過酷だ。
さて、仕事の世界でも同様にいつまでたっても上司・先輩、ひいては会社から仕事が与えられるのを待っている者は、ある時点で面倒を見てもらえなくなるのが必定だ。いつまでも仕事を与えられるという環境に浸かっていると、いつしか「仕事は与えられるのが当然」と思い始める。
こうした状況は長くは続くはずはない。こうした発想を持ち続けることが、自分の職務能力の向上を妨げる最大の理由となる。
「仕事」を作業と混同してしまうと「与えられる仕事」を単に処理するという意識が芽生えてしまう。仕事は単なる作業ではない。一つの仕事には様々に派生する新たな課題が含まれ、つぎつぎと次の仕事に連鎖していくものだ。そしてこの繰り返しが自分の職務経験に蓄積されていくものである。従って仕事には「終わりがないも」という観点が必要だ。
上司・先輩から与えられた仕事をこなして満足し次の仕事を待っていては、機械が行う作業とまったく同じことである。自分自身が、次にやるべきことを自分で見つけていく過程で創意工夫も生まれてくるものである。自らの仕事を創意工夫することなく「こなしている」のであれば、極論をいえば「機械に置き換えられる存在」に甘んじるということでもある。
もちろん会社組織での仕事は自分一人で完結するものではない。人数に関わりなく上席者の下でチームとして展開するものだ。そこでは独断専行などは許されない。しかし、自分自身から積極的に自分の仕事を創り出していくことが自分の仕事であると心得ておくことが大切だ。この意識を持っていれば、上司・先輩に「指示を仰ぐ」場合であっても、「私は何をしたらいいですか」などという受け身の姿勢にはなり得ない。
ビジネスの世界では、焦らずにじっと待っていれば、やがてはよい機会が巡ってくるなどという「待てば海路の日和あり」の諺は通用しない。いつまでも巣立ちをしないひな鳥に対して、親鳥はエサを運び続けることはしないものだ。そのうち巣立ちしないひな鳥を置いてどこかに飛び去っていく。自分自身の職務経験の蓄積と成長のチャンスを我がものとするために貪欲に自分の仕事を創り出すことだ。
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