2024年06月10日号
企業のパワハラ相談窓口には何かにつけて「上司からハラスメントを受けた」という訴えが急増しているとも伝えられている。管理職層にも部下・後輩をはじめとする若手社員に対する指導・育成について、ことさらパワハラへの警戒が強まっている。こうした流れを反映してか、管理職層に対して「何はともあれ、部下を叱ってはならない…。とにかく叱るな!」とのお達しを出している人事部もあるとのことだ。
管理職層からも「叱ったら人事部にパワハラで相談された」「叱った部下が出社しなくなった」「叱ったら、チッと舌打ちして反抗的な態度を示した」「叱った女性社員が泣き出して化粧室に駆け込んだ」などといった話が実しやかに伝えられている。管理職としては「部下のことを思って叱っているにもかかわらず…やっていられない」との思いにもなるだろう。
若手社員からのハラスメント相談を忌嫌する企業の人事部が管理職層に対して「とにかく、部下を叱るな」とお達しを出す行為は、端的にいうならば管理職層の抱えている問題や若手育成に対して正面から向き合うことを避けているあらわれでもある。もっと乱暴にいうならば、ある意味で問題の本質を覆い隠す人事部の自己保身でさえあるように思えてならない。
むしろ人事部は管理職層に対して若手社員との表面的接し方レベルの段階での注意喚起を行うのではなく、これまでの若手社員に対する指導・育成手法の在り様を積極的に内省的に振り返っていくことを迫っていく必要があるのではないか。さもなければ管理職層は若手社員と接すること自体を避ける安易な道を選択し続けるだけである。何故ならば、それが一番安易な手法であるからだ。
若手社員に対する指導・育成は職場のガバナンスを維持していく「仕組み」構築と密接不可分の関係である。仮に管理職層が若手社員との接点を持たなくなれば、当然のことながら職場のガバナンスが崩壊することになる。つまり、管理職層が部下やメンバーから“嫌われたくない”という心理の下でおこなわれる“放置”に他ならないからである。結果として管理職は、目に見える問題点の火消しに終始することになる。
「とにかく、部下を叱るな」とお達しを出すような人事部の行為は、とどのつまり目先の事柄にのみ目が向かい「面倒なことはやりたくない」という管理職層の安易で楽な行動を助長するだけである。そして結果として企業の組織性を弱め、若手社員の力量の向上には決して結びつかない。もちろん無為に若手社員に対し、不必要な苦役を背負わせる必要はない。問われるのは、なぜ人を育てなければならないのかという根源的な問題を追及するということである。そして、企業の人事部はこれを管理職層とともに思考し、断固として自組織の人材育成に対する“思い”を確立していく必要がある。
かつて松下幸之助翁は「人材育成は公事」であると喝破し、次のように述べたと伝えられている。この松下翁の発言は今も通用すると思えてならない。
「企業は公のもの、社会のためにあるもの、という認識に立つなら、企業の活動にあたって人を使うということも、私事ではなく公事である。自分1個の都合、自分1個の利益のために人を使っているのではなく、世の中により役立つために人に協力してもらっているのだということになろう。そしてそう考えれば、やりにくいことをあえてなし遂げる勇気も湧いてくる。たとえば、人を使って仕事をしていれば、時には叱ったり、注意をしなければならないことも出てこよう。ところがそういうことは、人情として、されるほうもするほうも、あまり気持ちのよいものではない。ともすればめんどうだとか、いやなことはしないでおこうということになりがちである。しかし、企業は社会の公器であり、人を使うことも公事であるとなれば、私情でなすべきことを怠ることは許されない。信念をもって、世の中のために、叱るべきは叱り、言うべきは言わねばならないということになる」
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