2023年10月16日号
企業組織は単なる共同体ではない。また、仲間内の集まりでもない。あくまでも共通利益に向けた機能体である。従って、上司と部下が理解し合うということは、個々の価値観の相違にかかわりなく、あくまでも共通利益に向けて協働する姿勢が問われなければならない。極端にいえば一人ひとりがどのような価値観を持っているのかが問われる必要もない。問われなければならないのは、「互いに協働する姿勢」という価値観が備わっているか否かである。
一般的に職場の生産性を高めるためには、上司と部下の意思疎通がうまくいっていることが必要条件であるといわれる。それは上司が求めてもいないことに対し、部下が多くの時間を費やし、上司が不必要であると考える事柄を部下が繰り返してしまうケースが非常に多いからである。これらは、部下が上司の思考を理解していない場合に発生する。
部下が上司の思考に対した無理解である状況にも関わらず、上司は往々にして部下に対して「ツーカーの関係」を求めてしまう。つまり、上司の側が「一を聞いて十を知る」ことを部下に求めるということだ。残念ながら今日では部下にこの種ことを求めることそれ自体が無意味である。さらにいえば、これを部下に求める上司は怠慢でもある。
いくら、部下に向かって「一を聞いて十を知る」ことを説いて、それが出来ない部下に対して、理解力のなさを嘆いたり謗ったりしても何も解決しない。むしろ、上司の側が自らの仕事の教え方、指示の出し方など指導方法に問題があると自省しなければならない。仮に手間がかかっても、組織体における上席者の立場を明確にしたうえで、組織におけるものの考え方から手取り足取り教え込む努力を惜しんではならない。
上司が求めている仕事のレベルや報告の仕方などについて、部下に理解させるために上司がすべきことは、部下に対して「組織における働き方とは何か」について理解させることからスタートすることが重要である。そのうえで上司が求めている仕事のレベル、報告の仕方などについて、一つひとつ噛み砕いて示すことから始めなければならない。マニュアルを渡したからといって、部下が仕事の基本を覚えるとは限らない。
マニュアルを覚えさせるやり方は単に「仕事のやり方は盗んで覚えるものだ」、あるいは「仕事は上司の背中を見て覚えるものだ」という類の牧歌的な育成手法に囚われているのと同じである。例えマニュアルを示したとしても、その中で「何を重視しているか」「なぜ、このようなマニュアルの中身になっているのか」を伝えなければ、部下は期待通りには動かない。さらにいえば動いてくれないのではなく、動くことができない。
上司と部下の間で価値観を共有していくということは、それぞれが異なる価値観を持っているということを認識し合うことが前提である。認識し合うことなしなは相互理解などは無理である。その際に必要なことは上司自身が大切にしていることや部下に限らず、他者を評価する際の「価値基準」を明確に部下に示すことである。有り体にいえば、「何をすべきなのか」「何をしてはいけないか」を部下に対して明確に言葉や態度、そして行動として示すことである。
上司の発する仕事に対する言動や態度にブレが生じているならば、部下との間で価値観を共有など望むべくないことである。部下は上司の価値観など理解しようともしなくなるのは必然である。一方で上司の「価値基準」が明確に部下に理解されているのであれば、仮に部下を厳しく叱ったとしても、その叱る意味理解がなされることになる。なぜならば、部下にとって叱られる根拠が明確であるからだ。叱る根拠を明確に示すことができない叱り方は単なる感情論に過ぎない。
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