2023年04月03日号
部下の欠点は目につきやすいが、長所は目につきにくい。とくに年長者にとって若手・新入社員は、自分と比較して年齢の割に幼い行動が目につくものである。経験値の蓄積度合いを比較したならば、年長者にとって自分にできることが、彼ら彼女らにできないのは当たり前であるという発想に立たなければならない。
この種の発想に立てない年長者は、若手・新入社員の指導・育成担当を辞退する必要がある。さらにいえば「若手・新入社員ができないのは当たり前である」という発想に立てない上司は、部下とムダで無意味な競争しているに過ぎないことになる。つまり思慮が足りず“大人げない発想”に陥っていることでる。そして結果的に自らの成長も止まっていることを意味している。
もちろん、できない事柄をできないままにしておくことは指導・育成の放棄であり、若手・新入社員を放置することになる。業務レベルにおいて若手・新入社員の中に知識もさることながら作業において個人差がつきものである。周囲との接し方にも個人差があらわれる。しかし、たとえば作業は遅いが正確で丁寧であるとか、作業は早いが周囲との接し方が下手であるとか、正に千差万別である。一人ひとりの生育履歴により一つ一つの物事に対する捉え方にも個人差があらわれる。当然ながら価値観も異なっている。
一概に「〇〇世代だから」などというレッテルを張って溜飲を下げても意味がない。とりわけ今日の若手・新入社員は、コロナ禍の中で対面での組織的な活動経験を経ているわけではない。従って、対面で他者との関係性を構築する経験に乏しいことも考慮しなければならない。上司の側は今日の若手・新入社員が自分の経験、すなわち自分が企業組織での経験をスタートさせた時代と明らかに異なった条件の下にあることを理解しなければならない。
指導・育成の観点からするならば、若手・新入社員ができない事柄をできないままにしておくならば、本人のためにはならない。穿った見方をするならば「何ができ」て「何ができていない」かということについて、本人が自覚していないケースが多いことも確かである。つまり、自分の現状に対しての自己認知が乏しければ、本人たちが何をどのようにして良いのかを認知することもできない。
上司が行う若手・新入社員に対する指導の根本は、本人たちにこの「できている事柄」と「できていない事柄」を正しく認知させていくことである。人は「できない事柄」ができるようになって初めて、自らの成長を感じるものである。同時にできなかった事柄ができるようにならなければ、本当に物事を理解したことにはならない。
上司の側が若手・新入社員と接する場合に重要なのは、彼ら彼女らの現状をしっかりと把握して「できている事柄」と「できていない事柄」を切り分けてあげることである。そのためには一人ひとりの一挙手一投足を予断や偏見を排除して観察しなければならない。実はこの行為は簡単なようであるが非常に難しい。何故ならば、指導・育成する上司の側が相応にプロフィットを背負っているからである。また、上司の側もまた自らの上司から評価される側であるからだ。
このため往々にして上司の側が自分にとって都合の良い若手・新入社員を評価するバイアスに陥るものである。このバイアスを完全に排除することは難しい。しかし、少なくとも具体的な行動にあらわれる長所や短所に対して適時公正に評していかなければならない。抽象的に「〇〇でなければならない」「〇〇すべきである」という大上段に構えた批評は意味がある行為ではない。まして単に「褒めて育てる」などの発想は、上司の側の「叱る」という行為に宿るストレスから逃れる方便でもある。
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