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週刊Neue Fahne

2023年03月27日号

若手・新人の対するマネジメント再考 -8- 上司から積極的に部下に相談

今の時代は大きな歴史的転換点である。日本においても1945年の終戦から1950年代を経る中で形成されてきたいわゆる「日本の戦後社会」の政治経済的な価値観は、もはや不動のものでなくなっている。これまでの時代に形成されてきた通用してきた手法が行き詰まり、機能不全に陥り新たな  手法の模索がはじまって久しい。
  実はこの行き詰まり始めた日本社会の大きな構造的転換期をリアルタイムで生きてきているのが20代以下の若手・新入社員世代だ。この世代が恐らく社会や企業の帰趨を決めていく任を担っていくことだけは確かである。従って、この世代の価値観や感覚に対して従前の価値観を対置しても全く意味がない。とりわけ企業という比較的狭い組織空間ではなおさらのことである。

  企業組織において上司の側が若手・新入社員に接する場合に従前からの価値観を強要する姿勢で臨むならば、反発を招くことは必至であり必然でもある。もちろん上司の側が若手・新入社員の価値観に対して無媒介に“おもねる”必要もなければ、ことさら同調する必要もない。逆にこうした行為で接するならば、若手・新入社員(部下)から上司の“薄っぺらさ”と受け取られることになる。
  若手・新入社員に限らず企業組織において部下は、上司が部下を観察する以上に上司の姿勢を一挙手一投足にいたるまで実によく観察しているものである。そして部下が一旦「この上司は部下に“おもねる”」と認識したならば、それ以降は上司のガバナンスは効かなくなることだけは確かである。つまり、権威の失墜である。

  上司の権威が失墜した企業組織は表面上はともかくとして実体としておよそ組織の体を成さない烏合の衆と化すことになる。上司の権威とは部下を服従させるという意味ではない。確かに何がしかの権限や威嚇を用いて部下を服従させることはできる。しかし、この種の手法の活用は組織内に面従腹背と怨嗟の感情を蔓延させるに過ぎない。上司の権威とはあくまで部下との関係性において、抽象的ながら「信頼」が担保されて初めて成り立つものである。
  特に上司が若手・新入社員(部下)から専門性や先見性、業務姿勢や業務遂行能力において一目置かれる存在でなければ、「信頼」を得ることなど所詮無理なことである。上司が若手・新入社員(部下)から「信頼」を得るための前提は、自らが彼ら彼女に対して“真摯に接する”ということに尽きる。これは彼ら彼女から“学ぶ”という姿勢を堅持することでもある。

  繰り返すがこの姿勢は“おもねる”ことでも無理に同調することでもない。上司の側が自らの経験と知見と若手・新入社員(部下)の価値観とのスリ合わせを怖ず臆せずに行うことである。その際にまずは部下から“相談するに値する存在である”と認知されなければならない。一般的に相談というのは、上司から催促して行うものではない。部下が仕事で悩んだり、困ったりしたときに、自らの意思でアドバイスを求めるものである。このため往々にして相談しないのは部下の責任であると上司の側が捉えがちである。
  この発想に留まっているならば今日の若手・新入社員(部下)は決して上司に相談などしてこない。単に部下からの相談を待っている上司は若手・新入社員(部下)を放置していると同じことである。この結果、上司の側が情報や問題から遠ざかるだけである。上司は若手・新入社員(部下)から相談されるのを持ってはならない。上司の側から積極的に彼ら彼女らに相談をする姿勢をとることを恥とする必要もない。上司と若手・新入社員(部下)が互いに“相談するに値する存在である”と認識し合える関係性の中に「信頼」の萌芽を見出していくことが重要となっている。

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