2023年01月30日号
上司と部下の関係における前提は、いうまでもなく価値観の相違していることを理解し合うことである。そのうえで相互に協力して組織目標を達成するということだ。そこに個別の好き嫌いという感情を持ち込むべきではない。あくまでもそれぞれ一人の独立した個人としての関係性を確立することが必要とされる。
ところが上司の中には「部下は自然と上司に共感してくれたもの…」という幻想がいまだに存在している。そもそも今も昔も単に職位や肩書で部下が心底から動くわけではない。とりわけ今日の若手・新人は自らの納得性を重視するため、間尺に合わない上司の指示・命令に対して疑問を抱くものである。悪くするならば面従腹背の態度をとるものだ。
こうした状況に直面すると上司は往々にして「部下の共感能力、コミュニケーション能力は、著しく低下している、主体性に欠ける」と認識しがちになる。しかし、共感やコミュニケーションはあくまで相互性の問題であり、一方の側が極端に少ない場合に発生するわけではない。乱暴にいえば「お互い様」ということだ。上司の側に部下を動かすだけの知識に裏打ちされた良い意味での権威性と論理性が備わっていなければ部下は動くはずもない。
上司が部下との間にお互いに納得できる関係性を築く責任は上司の側にある。決して部下の側にあるわけではない。部下が「上司のいうことはもっともだ…。この上司のいうことに道理があり、従わなければならない」と感じるのは、業務遂行能力は大前提として上司の日常の業務行動と言動に整合性がある場合に限られるといっても過言ではない。
部下は上司の発する言葉や行動、さらにいえば業務姿勢に納得、共鳴して初めて自らも積極的に行動するようになるものだ。上司が部下に主体性のある行動を望むのであれば、先ずもって上司の側が自らの業務行動や言動を振り返り、部下の範となる行動がとれているか否かを反芻する必要がある。これは決して部下におもねるという意味ではない。
価値観が異なっているが故に判断基準に据えるべきことは、互いに共通の目的に向けた協働(貢献意欲)に向けた行動の是非である。もとより上司による積極的な部下への働きかけなくして、部下は内発的に上司に共感することはない。
仮に上司が部下へのさしたる働きかけもなく、部下が動く場合は二つのケースが考えられる。第一のケースは既に上司を凌駕している場合である。第二のケースは単なる外発的に「いわれたから動く」という指示待ちの繰り返しを行っている場合である。第一のケースでは上司は部下への権限委譲を加速させなければならない。第二のケースでは上司による部下への働きかけが弱ければ、指示待ちが常態化することになる。このため、部下との「一対一」の関係性を強化して相互に方向性を確認し合う機会の頻度をあげていかなければならない。
ただし、これは単に「仲良くなる」等という矮小なことではない。また、上司から部下に「歩み寄る」などという陳腐なことでもない。部下に対して個別の対応する労力を惜しまず、一人ひとりの目標設定に上司が責任を持つということだ。部下の目標設定に対する上司の責任とは、“部下の業績や成長に上司が責任をもって対応する”という態度を一貫して堅持する覚悟を持つことである。
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