2021年07月05日号
自分なりの仕事観や価値観が確立している管理職は、部下との関係性においてブレが生じることはない。何故なら仕事に対して自分なりの基軸があるからだ。自らの仕事観や価値観が未成熟な管理職に限って、部下の一挙手一投足が気になりマイクロマネジメントに陥ったりする。テレワーク下で部下の日常までも過度に管理したがるなどはこの典型でもある。マイクロマネジメントに走る管理職は、部下を育成することなどできない。
こうした管理職は仕事観以前にそもそも組織を構成する一人の個人として「働くとはどういうことなのか」という点があいまいになっている。企業はあくまでも利益を追求するための機能体組織である。同時に企業は社会との関係性において成り立っている。このため、企業組織での働きとは、社会に役立っていくために自らの能力向上を図らなければならないことを意味することになる。決して部下は自分の「手下」ではないということだ。
最近ではSDGsが盛んに強調されるようになっている。しかし、単にSDGsのバッジをつけたところで、企業組織や自らの働きを何ら変化させないのであれば意味がない。管理職は部下に対してSDGsの意味すること、そして自分たちの働きとSDGsの関係性を自分の言葉で語れないのであれば単にポーズでしかない。さらにいえば自分の仕事に対する価値基準を明確にしなければならないということだ。
同様に部下に対して、「企業組織とは何か」「企業組織で働くとはどういうことか」について、しっかりした自らの考え方を開示できないのであれば、部下から見切りをつけられることになる。一昔前は上司や管理職の側が部下に対して「仕事に対しての意識が希薄になっている」というステレオタイプが流行した。ただし、この場合の「仕事に対する意識」とは、あくまで高度成長期を経験した自分の上司や先輩の価値基準をオウム返しにしたものに過ぎなかった。
旧態依然とした仕事観の枠組みから抜けられない上司や管理職は、今日の若手社員を前にして、したり顔で「いまの若者には何を言ってもムダだ」と最初から諦めたり、指導の機会から逃げたりする傾向も散見され始めている。この種の管理職が指導を諦めて黙って身を引くのであればまだしも、もはや古臭くなった意識を振りかざし、若手社員に悪影響を及ぼす「困った管理職」も存在する。
経営視点からするならば、高度成長期を基準にした仕事観を振りかざす管理職ほど始末に悪いものはない。何故なら社会経済状況の変化に対応することなく、「無為に録を食んでいる」と映るからである。とりわけ、いまだに「経年により職務遂行能力が蓄積される」と思い込んでいる管理職の存在は、若手の育成にとって桎梏にもなり始めている。
管理職が働くことの意義や意味を改めて言葉にするのはなかなか難しいものだ。単純に経験から得たこれまでの苦労や喜びを語ったところで、若者の琴線に触れることはないだろう。精々のところ「昔は良かったですね」といわれるのが関の山だ。悪くすると単に自慢話や苦労話としか受け取られない。
上司や管理職が若手を前にして語れるのは、ある時代を経験したことによる古き良き時代を基準にした経験談ではない。あくまでも現在を起点にして、過去を振り返りながら成功と失敗を踏まえて、今後の自らの仕事に対する姿勢が「どうありたいのか、どうあるべきなのか」という自分自身の思惟の変遷である。
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