2020年10月26日号
企業組織に属しているすべての者は、企業の業績にコミットして利益に貢献することが求められる。この行為なくして自らの成長も決してない。このことを肝に銘じておく必要がある。また、利益貢献する過程で時には、自らが上司や経営陣を“動かす”という「覚悟」が必要となる。つまり、企業の業績に資するという信念のもとでは、上司や経営陣への忖度など不要である。自らの立脚点を何よりも市場や取引先等のステークホルダーを第一義的に置くということだ。
ところが実際には、自分よりも経験豊富な上司を“動かす”ことは容易ではない。まして経営陣を動かすとなると並大抵ではない。しかし、これは常に業務改善や企業の方向性について思考しなければならない組織人としての責任でもある。ただし、自らが自律的に結果を出し、それを周囲から認知される状況を創り出すことができなければ、“動かす”どころか単なる不平不満と受け止められることになる。
もちろん、いくら「責任に駆られた行動」であっても上司や経営陣と対立することが目的ではない。まして、我欲を先行させた経営批判などには、誰も耳を貸すはずもない。また、最終的な判断を下すのは決済・決定権を持った上司や経営陣であるこということを片時も忘れてはならない。これが組織人として働くうえでの鉄則でもある。
自らの主張や意見に対して上司や経営陣に「聞く耳」を持ってもらうためには、自分自身が日常行動を通して信頼感を醸し出しておく必要があるということだ。敢えて誤解を恐れずにいえば、ひとは好感を持っている者の話を聞き、引き立てようという気持ちにもなるものだ。逆に好感の持てない者の話は、仮にそれが正論であったとしても「聞く耳」を持たないものだ。
企業の方向性や部門の方針をめぐる議論は、私心で行うものではない。自分の意見が通らないのであれば「辞める」などと考えは潔さなどではない。単なる自己本位の浅はかな思考の極みに過ぎない。あくまで決済・決定権を持っている者が最終判断を行うという鉄則を無視してはならない。いうまでもないことだがこの鉄則により、組織内で決済・決定権を持つ者の「責任」が誰よりも問われることになる。
仮に自分の意見や主張が受け入れられなくとも、本当に企業の将来を思うのであるならば、自分の存在を保持した上で次の展開に備えるべきだ。そのためには自分自身で不本意なことであったとしても、反社会的でコンプライアンスに抵触する決定や判断でない限り、率先して遂行することも自らの「覚悟」と「責任」の範疇であるということだ。
ひとは他者を評価する場合に「自分が好きな人だから評価する」のであって、「評価できる人を好きになる」ケースは極めて少ない。周囲から「好かれる」とは、決して上司や経営陣に媚びへつらえという意味ではない。上司や経営陣はもとより同僚や後輩に至るまで、組織の構成員に対して礼節のある態度で臨むことを忘れてはならない。企業全体の利益という観点から、私心なく「自分はどのように動くことが最適であるのかを考えて行動しなければならない」ということだ。
この行動スタンスの下で企業の方針に疑問があれば、上司や経営陣と事実に基づいて徹底的に議論する姿勢を堅持する勇気も必要となる。この姿勢が組織内において信頼感を醸成させることになる。上司や経営陣の信任を得て関係が深まれば、今まで見えなかった上司や経営陣の苦悩が理解できるようになってくる。そして自分自身に経営者精神や経営感覚が宿り始め、周囲から「一目置かれる存在」になっていくものだ。
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