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週刊Neue Fahne

2010年12月20日号

外的な「動機付け」には限界がある

業績や成果を生み出す基本として、以下の4つの項目による「公式」が用いられることがある。

★業績(成果)=「やる気」×「能力」×「物の見方・考え方」×「環境対応」

この「公式」は掛け算であるために一つの項目でも「ゼロ」があれば、他の項目がいくら高い数値であっても結果は「ゼロ」ということだ。また、一つの項目でも「マイナス」であれば、結果はマイナスになってしまうということだ。

さて、この掛け算の中でも「やる気」すなわち「動機づけ」が果たす要素は、業績(成果)にとどまらず日常生活にも非常に大きく左右するものだ。ひとは何事においても「誰のため」「何のため」という動機が明瞭で明確なときに自分の能力を発揮していくことができる。逆にいえば「動機」が不鮮明であれば、目的も曖昧になってしまうものだ。

とかく働く「動機づけ」は、外的な要因である「報酬」や「地位」という要素に大きく左右されるといわれてきた。しかし、「働く動機づけ」について、こうした「報酬」や「地位」のみを基準としていては、ひとが仕事自身の中に本来見出すはずの楽しみ、興味を奪い去り、無味乾燥できまりきった退屈なものに変えてしまうものだ。いくら金銭的な「報酬」や権限としての「地位」が増加しても、自らの仕事に楽しみや興味が持てなくなれば、それは単なる「苦役」へと転化してしまうものだ。
最近、比較的に若い人びとを中心に広がり始めている「社会起業家」の動きなども、自らの働きが「社会のため」「社会とのつながり」を体感していたいという「自らの動機づけ」との関係でと捉えることができる。

もちろん、自らの働く動機づけとして「報酬」や「地位」が無意味であるわけではない。働く動機づけとしての前提条件として、「報酬」や「地位」という要因を否定するものではない。しかし、注意すべきは一方的に自らの働く動機づけをこうした「外的な要因」だけに頼っていると、仕事が持っている本来の意味や自分の果たすべき使命が曖昧になってしまうということだ。自らの働く動機づけは、周囲の人びとからの惜しみない「感謝の言葉」、難しいと思っていた仕事をやり遂げた時の「満足感」、優れた成果を上げられた時の周囲からの「承認」、があってこそ持続するものである。

動機は外的要因に頼らず自らの内発的要因が不可欠だ。そのためにも自分の仕事においては、次の姿勢を貫きたいものだ。

■自分がおこなう仕事上での行為・行動の主体であるという確信
■自分の行為について自分がきちんと統制しているという信念
■自分が外部からの要請にきちんと対応しているという自信

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