2016年05月16日号
企業組織において管理職は、常に部下に対して「正しいこと」を実行させていく職責がある。正しさの基準はコンプライアンスと社会的責任という大前提の下での企業の「利益追求」である。
何故ならば“会社にとっての利益とは目的ではなくあくまでも存続の条件”となってきているからだ。コンプライアンスと社会的責任を果たすことは、決して利益追求と相反するものではない。これは最近の相次ぐ企業不祥事の発覚からも明らかだ。
管理職が「正しいこと」に対して熱意を持って真摯に仕事に取り組めば、部下に必ずその熱意は伝播するものである。熱意を持って仕事を展開するとは、正しいことと間違っていることを明確に峻別していくことでもある。管理職の中には古くからの慣習を重視すること、従来からの申し送り事項に沿った運営を踏襲することが自らの役目であると錯覚を起こしている者がいる。こうした管理職は部下指導においても波風が立つことを恐れ、あえて部下の行動を咎めもしないものだ。
こうした管理職は自らの仕事に対する熱意が欠如していることになる。同時に管理職自身が企業にとっての利益追求という「正しいこと」の意味理解が欠如していることになる。そして、何よりも部下への関心が欠如していることになる。このため、部下の行動に対して安易な妥協や阿りを繰り返すことになる。
先ず管理職が自らの判断基準を明確に規定できていなければ部下指導などできるはずがない。企業組織における「正しいこと」が“企業の存続の条件である利益追求”であるからには、管理職にとっての判断や価値基準は一つしかない。それは常に「何が(どちらが)会社にとってより利益になるか」である。
もちろん目先の利益だけではなく、短期的には損をしても長期的には大きな利益になるのであれば、それを選ぶのは当然である。管理職はこの軸心をあくまでも堅持して部下指導を含めて職務責任を貫いていかなければならない。この軸心にズレが生じるならば、必ず現場マネジメントが揺らぐことになる。
管理職の役割の中には他部門との連絡調整や時には根回しも必要となる。しかし、この役割に時間とエネルギーを費やす余り、自らの職務責任を忘れてはならない。部下に対する評価基準もあくまでも部下の発揮するパフォーマンスを前提にしなければならない。管理職が部下の一人ひとりと適時適切な対話を維持しながら公正な評価に心がけるのもあくまで、「正しいこと」を実行させていくためである。
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