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週刊Neue Fahne

2014年12月15日号

管理職には「結果」と「経過」という二つの責任が求められる

 管理職に限ったことではないが、仕事には一般的に「経過責任」と「結果責任」がつきまとう。“結果が良ければすべてよし”という発想であれば「経過」に対する責任を果たしていることにはならない。また、“結果は悪かったが、頑張った経過を認めてほしい”を繰り返していては「結果」に対しての責任を果たしていることにはならない。
 個別企業の給与体系にもよるが、管理職は一般社員と比較するならば役職手当が加算されているはずだ。管理職の立場の者はありていにいえば、この役職に応じた手当が組織内における「責任の大きさの順位を表しているものだ」と認識する必要がある。当然のことながら管理職一人ひとりの仕事には明確な責任が存在する。従って、管理職はこの「責任」について無自覚であってはならない。

 管理職には“いついつまでに○○を××のような状態にすること”が常に求められる。そのため管理職には「経過」と「結果」の両方の責任が求められる。経過責任と同時に結果責任を意識する者は、一つ一つの仕事が終わったならば概ね次のように総括するものだ。
「今回の仕事についてはいろいろと問題が発生した。しかし、その都度調整をしながら最終的には初期の目的を達成することができた。今回の仕事の過程で発生した問題点を次回以降の教訓や課題としてより効率的な業務の推進に向け、自分の責任を果たしていく必要がある…、そのために自分は…」と。
 ところが「責任」概念が曖昧な者は、「経過」「結果」に限らず、自分が今やっている事柄にしか目が向かないために周囲や後工程を意識することもできない。
「責任をとる」という言葉の意味は、「評価を甘んじて受け入れる」と同意語でもある。そのため管理職が「責任を果たす」ためには、常に周囲から下される「評価」に敏感でなければならない。責任概念に無頓着な管理職は、周囲からの「評価」にも必然的に無頓着になる。

 もちろん、ビジネス上の「評価」とは“他人からよく思われたい”ということとは全く無関係である。この「評価」とは周囲から「よく思われたい」という次元のものではなく、あくまでも仕事の内容と結果が全体に対しどのような影響を与えたかである。「評価」とは仕事の成果に対する事柄であり、情意的な意味での“良い人”“悪い人”などではない。管理職にとって“他人からよく思われたい”との思いは、何時しか自分基準を失うことであり極めて危険なことである。

 人間だれしも他人から嫌われることを好むものはいない。しかし、管理職に“嫌われたくない”との思いが高じてくるといつしか統治機能を自ら放棄してしまうことに繋がるものだ。ただし、管理職は「居丈高」であってはならない。管理職は与えられた責任を果たしていくために自ら役割を演じきらなければならないということだ。

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