2014年11月03日号
管理職は自分の“手となり足となる使い勝手のよい部下”を求めてはならない。管理職がこの種の部下の働きに満足してしまうと自分の担当する部門・部署は「仕事のできない人」の集団に化してしまう。
「仕事のできない部下」の典型は、自分が“解っていること”と“解っていないこと”の区別がつかず、“解らないことが解らない”部下である。また、自分自身は“一所懸命やっている”と思っているが、実はいわれたことしかできなく、傍目から見るとやり方や要領が悪く成果が上がってない部下である。
一方でこうした「仕事のできない部下」は、時として周囲から自己顕示欲が強く自信過剰と映ることがあり、反発を招いてしまう危険性もある。
もちろん本人にはその自覚がない。何故なら自分は“一所懸命やっている”が“周りが理解してくれない”との思いが行動や発言、態度としてあらわれるからだ。
職場内で周囲から反発を招き、煙たがれる存在になっている者の大多数が、実は「仕事ができない」が故の結果であるともいえる。
管理職は部下の行動を観察して「仕事ができない」と思ったならば、先ずは与えた仕事の出来不出来を云々する前に「本人が仕事について根本的ないし普遍的な意味を理解していないのではないか?」と疑ってみる必要がある。
部下の行動で次のような経験をしたことのある管理職が多いはずだ。
自分(上司)の出張中に部下が取引先から書類を預かってきた。ところが、部下はその書類の性質や内容を確認もせず、あたかも一般の郵便物のように出張中の自分の机の上に置きっぱなし。
出張から帰り書類の中身を見ると早急に対処しなければならない事柄であった。
部下に「なぜ、もっと早く書類のことを報告しないのか」と問いただす。すると部下は「先方から〇〇部長に渡してくださいといわれたので、出張中の〇〇部長の机に置いておきました…」との返事が帰ってくる。
「仕事ができない部下」とはこの種の行動パターンを繰り返す。それは、仕事ということの「普遍的な本質」が解っていないからに他ならない。同時に仕事の意味が解らないということだ。
仕事の中身は業種、業態、職種によってさまざまだが、普遍的にいえることは相手に対して“満足”を提供するということだ。満足の提供先とは営業であれば取引相手であり、社内のバックオフィス業務であれば上司はもとより同僚や他部門ということになる。
満足の中身とは、品質、価格、納期、提出期限、精度などということだ。先の部下の行動は上司からすれば単に取引先との間を行き来している「伝書鳩」に過ぎず、“仕事の意味を解っていない”ということになる。
管理職はこうした部下に対して「指示されたことを、指示されたようにできるだけで十分だ」と割り切ることもできる。この種の部下は「使い勝手のよい部下」なのかもしれない。しかし、このように達観してしまうと部下は決してこの域から脱することはなく、付加価値を生み出すことのない単純な部分作業のパーツで終わることになる。変化の激しい時代は、一人ひとりの働きに質が求められる。
管理職は「仕事のできない部下」に対して、常に一つ一つの行動を通して意味理解ができているか否かを確認させていかなければならない。
管理職はこの行為を「面倒だ!」と思ってはならない。さもないと早晩職場は「仕事のできない人」の集団に支配されることになる。
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