2014年06月30日号
至極当たり前のことだが“部下は上司の仕草”を常に監視しているものだ。逆に上司は“常に上司は部下に監視されている”という自覚を持たなければならない。
たとえば、組織内のルール一つとっても、いくら部下に向かって「ルール遵守」を唱えたとしても、上司の側がルールを曖昧にしていると部下への統治が効かなくなるのは必定だ。
上司の側はこの道理が意外と忘れがちになる。
一般的にいえば上司は部下と自らの関係を単純に上下関係として捉えがちだ。上司はその職務権限で部下に対して指示命令を発する立場にある。そのため、部下は上司からの指示に対して、条件反射のように「わかりました」と応える。
ところが、その指示に納得性がなければ本心からは動かない。動かない部下を見て上司は立腹して「アイツはいうことをきかない、使いづらい」という感情をもってしまう。そして「コミュニケーションが取れない奴だ!」という定番の部下批判に陥る。
上司の側がこの感情に留まっているならば、所詮は「動かない部下」と同レベルであることに気付かなければならない。部下を動かすことができない理由を「部下」に押し付けているに過ぎない。
部下が上司に求めるのは、上司の言行一致と指示命令の一貫性に裏付けられた「頼りがい」の有無といっても過言ではない。
部下から頼られる上司とは、ものわかりの良い上司として部下に迎合するという意味では決してない。まして、部下の不平不満に同調・便乗するなどの行為は、結果的に信用の失墜になる。
上司の姿勢は部下が困っている時、部下が業務遂行上で壁にぶつかった時に適切な助言を与えることができるか否かである。そのためには何よりも上司が、常に業務に精通し、業界や世の中の動向に関する情報収集し、会社の将来を見据えた自らの学びの姿勢を堅持しなければならない。一言でいえば上司が部下よりも知識面および一般教養においても部下を凌駕すべく能力を磨く必要があるということだ。
知識や技能があっても“実行しない上司”は部下からは嘲笑の的となる。同時に率先垂範で自分から行動しない上司の下では、部下は決して行動を起さない。ことあるごとに「出来の悪い部下批判」を周囲にいい回る上司は、自己保身以外の何ものでもない。それは「天に唾する」に等しく、部下に正しく物事を「教えることができていない」と自覚しなければならない。
もちろん、部下の方が上司よりも優れている面を多々持っている場合がある。こうした部下から「教えを乞う」ことも上司の信頼感につながる。上司の「学び」の姿勢は部下に教える行為(育成)と結びつくものだ。
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