2013年07月15日号
企業組織では時として仕事の区分について不思議な現象があらわれる。それは「この仕事は○○さんがやることになっている…」あるいは「○○さんがいなければこの仕事はできない…」という暗黙の区分などだ。まるで会社での仕事が個人属性となってしまっているかのような現象だ。
こうした現象が高じてくると当該の社員が、何らかの理由で休もうものなら仕事がストップしてしまうことになる。常識的に考えれば当該社員の代わりを誰かが務めればよいのだが、誰も率先して穴埋めをすることもなく、仕事がストップしたままで経過することがある。
会社組織にとって仕事の属人化は実に危険な兆候だ。なぜならば仕事が属人化してしまうと当該社員によって、本人にはそのような意識がある訳ではないだろうが、結果的に会社の生殺与奪を握られるからだ。同時に他の社員は当該社員に全てを任せて、自分の責任逃れを始める危険性もある。「この仕事は○○さんの仕事です。私はできません。知りません。自分の仕事ではありません」という具合だ。
これでは会社組織は単純に「一人親方」の集団と化してしまい、決して組織力を発揮することはできない。かくして組織は相互協力や「協働」という意識が薄れて無責任集団化してしまう。
悪くすると組織内で属人化してしまった仕事を行う者が、錯覚を起こして「横車」を押しはじめたりする場合もある。錯覚とは「自分がいなければ会社組織は立ち行かない」という歪んだ自分の影響力の誇示にもつながる。
こうした傾向は可能な限り会社組織の日常業務を定型化させることで防ぐ必要がある。日常業務の定型化とは、一つひとつの仕事にルールをつくり、いちいち管理的立場の者が日常業務を担当る者に対して、逐次指示を出さなくとも、仕事それ自体が流れるような仕組みをつくるということだ。
また、仮に誰がその日常業務を遂行しとしても大差なく業務が回るという仕組みだ。そして、もしその仕組みのなかで問題が起こった場合には、すぐに報告され、迅速に処理できる体制を創り出すということだ。
日本の企業組織はこれまで“一つの会社で、長期的に業務を学習・熟達し、その蓄積を後輩に伝授していく”という育成方法を展開してきた。率直にいえば展開する余裕があった。また、業務を展開する者も一定程度の教育を取得し均一化した労働力であった。そのために特段業務のマニュアル化を進めなくとも先輩の背中を見て仕事を覚えるという手法が成立していた。さらには個人に蓄積されたノウハウも企業組織に蓄積されたノウハウであるとの暗黙知も存在していた。
今日では善し悪しは別として多様な雇用形態と外国人労働力が一つの企業組織に混在している。こうした状況の下では仕事を個人の属人性に任せていたならば、企業の組織力は分散してしまうことになる。可能な限り日常業務を定型化させて業務自体を企業にノウハウとして蓄積させていく必要がある。
そして、蓄積された定型業務は、社員であれば誰でも活用ないし運用できるというものにしなければならない。
もちろん、企業組織で働く者に必要なのは「自分がいなければこの組織は回らない」という気概と自負がなければならない。
一方で逆説的ながら「自分がいなくとも組織は周り、自分に代わる者がいる」という自立(独立)志向がなければならない。
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