2012年10月01日号
先日サラリーマンの「お小遣い」がバブル期から半減したとの報道があった。感覚的な域を出ないが「お小遣い」の半減とは恐らく家計の実質可処分所得が半減となったということだろう。もちろん実質所得も大幅に減少している。こうした状況は今後とも回復しないだろう。
“物価の下落や失業を伴う経営活動の停滞”により、今後とも企業はますます価格競争の渦中にはまり、利益が逓減していく。その結果、企業は雇用の維持も困難となってくる悪循環が生まれるということだ。さらに経済のグローバル化により、すべての日本企業は新興国との間で廉価な製造原価との競争を強いられている。付加価値を持たないものは、この悪循環から抜け出すことはできない。
日本経済全体が拡張し売上が伸ばしやすい時は、たくさん「売る」努力が直接的に「利益」の増大につながっていた。しかし、こうした時代は20年前にとっくに終焉していた。 成長神話の余韻をむさぼってきたのは、単に企業だけの問題ではない。企業組織に働く者もこの「成長神話」にどっぷりと浸かっていたことは確かだ。
経済成長率が期待できない段階では、単純な「売る」努力をすることで、かえって逆にさまざまな弊害が生まれることさえもあることを知っておくべきだ。たとえば、原価や採算を気にすることなく、とにもかくにも「売る」行為だけが強調されがちだ。実はこの「売る」努力が、肝心の「利益」を減らしてしまうケースも存在する。これでは企業として抜本的な改善をすることにはならない。
むろん、やるべきことをやらずに「売上が伸びない」「売れないのだから仕方がない」などというのは論外だ。多くの会社組織では自社の売上が下がり始めると生産や営業現場から次のような不満の声が出始める。曰く「最新設備と最新の技術の不足している」「新商品や販売経費が不足している」
これらの不満は現場担当者にとって当然のことと思うかもしれない。しかし、この当然と思うことも実は「成長神話」の裏返しに過ぎない。全局を見ないで、自らの担当部門の視点からの「不満」に留まって溜飲を下げても利益にはつながらない。自部門の意識や今までと同じ感覚でのみ、物事を思考していては全体としては新たなロスを生み出しかねないのである。
成長神話の崩壊は、一人ひとりに常に「利益を意識」を持つことの重要性を突き付けている。同時に自らの働きに対して如何にして「付加価値」を持たせるかという意識だ。一人ひとりが拡大成長期の判断基準で行動することはもはや通用しない。これからは「売上は伸びない」という前提とした上で、どのように「利益」を出すのかを考えなければならない。同時にこのことは、自らの働きに対して如何にして「付加価値」を持たせ、コモデティー化した働き方から脱却していくのかという課題とも直結することになる。
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