2012年01月23日号
「失われた20年」と形容されて久しいが、この間の経済変動のなかで雇用に関してさまざまな問題点や矛盾、綻びが明確になってきた。新卒学生の就職難、正社員と非正社員の賃金格差の拡大など、大きな社会問題となってきている。
雇用問題に関して言えば、そもそも「通用している」と錯覚していた「制度」としての「日本的雇用慣行」が、実はいわれるほど貫徹されていたものではなく、現実的に機能していない側面に目を瞑り、「錯覚」を覆い隠すことで、雇用する側もされる側も自己欺瞞をしている現状が続いている。
確かに雇用問題についていえば、日本の全就労人口の中に占める正社員の率は三分の一までに下がり、派遣法改正など労働政策の見直しという流れも強まっている。しかし、未曾有の就職難といわれているが、2012年卒業者に対する大企業の有効求人倍率は低いが、中小企業の有効求人倍率は依然としてそれをうわまわっている。
企業の規模別就労者では圧倒的多数が中小企業に勤務する現実をみるならば、喧伝されている「学生の就職難」が、日本全体を構成している企業の現実的採用意欲を正確に反映しているかは疑わしい。
さらには日本の就労者の「三分の一が非正規雇用者」というが、そもそも「正」と「非」という雇用形態それ自体の是非が問題であるわけではない。
正規であろうがなかろうが、自らの将来に責任を持った働き方をしているか否かが問われるべきだ。そもそも正規だから「安定している」、不正規だから「不安定だ」と発想してしまうことが、自らの働きの意味付けを曖昧にしてしまう。社会全体に対して安全や安心を提供するための仕組み作りの課題と、雇用形態を混同してしまうのは誤りだ。
過去も現在も、そして未来も主人公はあくまで自分自身である。他人に自分の人生を託して生きていくことはできない。そして自分の将来に責任を持つためにも自らの働く意味付けを持たなければならない。
「働くこと」とは、雇用形態や組織人か否かを問わず、自らの
働きが周り(社会)に対して、役立っていることを実感していくことである。
「働くこと」とは、自ら何かを成し遂げたいという意欲の表れだ。
「働くこと」とは、誇りをもって他者に自らを伝えていくことだ。
「働くこと」とは、自らの成長に意味を持たせていくことだ。
「働くこと」とは、人生を無駄なく過ごしていくことだ。
「働くこと」とは、人間の根源的な欲求であり、生きているということの証だ。
企業内においてもこうした「働くこと」の意味を一人ひとりの従業員が、雇用形態の差異を横断して「問う」ことを奨励していかなければならない。さもなければ、いつまでたっても雇う側と雇われる側との単純2項対立の図式から抜け出すことができない。
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