2023年11月27日号
ことさらに巷に流布している「世代論」に影響される管理職は、部下との接し方に危惧を抱き、評価基準も曖昧化させる傾向がある。こうした管理職に限って実は本来の管理職の役割を自覚していない。管理職の役割は部下に対して自分の経験則を語ることではない。自分の経験則しか語れない管理職は部下から見たならば、単に自分の「武勇伝」を語っているに過ぎないと思われるのが関の山だ。
管理職の役割とは部下に対して仕事の「意味」「目的」「やり方」を系統的に明確に伝えて正しく実行させるということである。これが出来ない管理職は単に論理的思考や部下とのコミュニケーションが苦手ということではない。そもそも論として自らの役割について継続的な学習がなされていないということである。稚拙な隠喩を用いるならば職務を遂行する上で必要とされる“管理職の基本ソフトであるOS(オペレーティング・システム)”が古くなっているということだ。
管理職が部下と接する場合に必要となるのは“古い「管理職のOS」のままでは今日の部下を駆動させることは出来ない”という自覚と内省である。今日の管理職には“単に経年による部下への優位性を発揮できる時代はとっくの昔に過ぎ去った”という認識が求められている。部下指導にとって必要なのはこれまでの管理職に実装されてきた“やり方”“考え方”というOSのバージョンアップである。これが出来ず相も変わらず「最近の若い連中は…」といういう繰り言に終始する管理職などは、部下指導という概念が欠如していることになる。
今日の企業組織は10代から70代の世代で構成されている。そして、これらの世代の意識はそれぞれの育ってきた社会経済状況に規定されて形成されている。管理職は部下よりも年上であるとは限らないし、自分よりも年下の部下も存在する。こうした世代で構成される組織メンバーを率いていくために管理職には、部下との接し方や評価に対しての多様性も不可避となっている。
本来的には管理職が管理職である所以は、単に在席年数の長さや単なる実績だけではなく“企業組織にとって貴重な人的資本を託せる任に値する”との経営からの評価がなされているからである。これは同時に経営の立場に立って物事を思考するという立場性が要求されているということでもある。この意味で部下がその能力に応じた成果を出せるか出せないかは管理職の責任になる。
一方で部下は仕事が楽しくなければ仕事のやり方が上達するはずもない。さらに“ここは自分が居るべき場所である”あるいは“これは自分がやりたい仕事である”と自覚していなければ成長もしない“自分がやりたい仕事である”とは、仕事を“自分事”と捉えて仕事に対して心理的所有感を持つことでもある。
管理職は部下に対して「他者との比較」をさせてはならない。比較する対象は常に“過去の自分である”という点を強調し続けなければならない。同様に評価においても他の者との比較で相対的評価をするのではなく、あくまでも部下が設定した目標に対してい「できたか、できなかったか」、その取り組み姿勢において「変わったのか、変わっていないのか」を見なければならない。これは評価をする際に相対評価ではなく絶対評価をしていくということである。
同時に管理職は部下が“会社が何を大切にしているのか”を理解しているのか否かを判断しなければならない。部下に対する「評価」において管理職が自らの“好き嫌い”で判断してはならないことは当然である。ところが否応なく情意が左右することもあるため、評価の基準には“好き嫌い”が入り込むことが避けられない。しかし、あくまでも判断の基準には“今現在の組織が重視している事柄に応えているのか否か”を据えなければならない。
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