2022年06月06日号
企業組織は共通の目的の下に個々人の貢献意欲を基本にして形成されている。無論のこと組織を構成する個々人の価値観は多様である。一昔前まであれば企業組織を家族のように位置づける傾向もあった。しかし、今ではこの種の発想をすること自体が各種のハラスメントの温床にもなりかねない。家族とは異なり利益共同体としての企業組織では、「阿吽の呼吸」を期待することがマネジメント不全を招くことになる。
そもそもマネジメントとはさまざまな価値観を持った個々人を共通の目的の下に合理性と効率性に沿って“やり繰り采配”していくことである。組織体において「阿吽の呼吸」等が通用すると考えることや「わかっているはずだ」等と思考することは、大いなる誤解である。この思考は結局のところマネジメント実践の放棄を意味することになる。
組織の一員として仕事を展開する場合にはすべての局面において、常に自分の意見が賛成され尊重されるとは限らない。仕事とは他者との協働で成立するが、自分の意見や主張がいつでも周囲から賛同や理解を得られるとも限らない。むしろ疑問や反論を受ける場合の方が多い。とりわけ、複雑で曖昧な不確実性に富んだ時代においては、必ずしも誰もがすぐに賛同できる単純で明快な正解が存在するわけでもない。
方向性を巡ってさまざまな価値観のぶつかり合いが存在して当然である。有り体にいえば自分の意見がすんなりと通ることの方が危険でもある。それは誰も何も考えていないに等しいのと同じであるからだ。むしろ、異論や反論のぶつかり合いが発生することの方が健全な組織体である。組織の方向性を巡る意見の相違は組織活性化の原点でもある。
組織を構成する一人ひとりが、誰かが決めた方向性に唯々諾々と従ってしまう組織ほど危険でもある。それは極端にいえば、組織の方向性を常に他人に委ねてしまうからである。こうした組織には往々にして誤った忖度と事大主義が蔓延するものだ。事大主義とは明確な信念がなく、強いものや風潮に迎合することにほかならない。自分の考えに対する反対意見を大いに歓迎すべきである。また、反対意見に対して説得を試みず、すぐにそれを受け入れてしまっては、提案や意見それ自体が単なる思いつきに過ぎないことになる。当然のことながら説得には反論がつきものである。
むしろ、周囲からの多くの抵抗や疑問を経て、なおかつ説得することができた意見や提案は、反論者も含めて共通の認識となっていくものだ。自分からの意見や提案に対する周囲からの反論を恐れる必要などはない。ただし、そのためにはむやみに自説の正当性だけの主張を繰り返し、反論に対する感情的な反発は禁物だ。まして自らの沽券などを気にするのは、単なる我欲に過ぎない。あくまでも、反論の意図を読み取り、反論の原因となっているものを一つ一つ解きほぐしながら論理的整合性のある説得の態度を堅持する必要がある。
もちろん組織にはそれぞれ階位に沿った役割が存在する。これを無視することはできない。何故ならば、組織において階位に沿った役割を無視するならば、組織としての統治が崩れ単なる烏合の衆になるからだ。このような組織は一見するとフラットで民主的に見えるが、実のところそれぞれの責任の所在が不明瞭になり、共通の目的に向かうことができない。それぞれの階位を飛び越えた行動が許される組織は、結局のところ各階位の責任者が自らの職位を放棄していることを意味する。
この種の組織は一貫性を欠き常に蛇行を繰り返し、結果的に個々人に責任を転嫁することになる。企業で働くとはあくまでも組織人とし振る舞うことが求められる。自らに与えられた権限と役割に応じて自らの主張の正当性を巡り、反論を恐れず、大いに意見し、議論を繰り返す。しかし、一旦方向性が確定したならば、例え自らの意見と異なっても自らの意見を留保し捲土重来を期して、組織的に決定された方向に従う姿勢を貫かなければならない。
一覧へ |