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週刊Neue Fahne

2022年01月24日号

己の働き方を再考察 −2− 仕事は“与えられるもの”ではなく“勝ち取るもの”

日本の雇用システムについて「ジョブ型」から「メンバーシップ型」への転換の是非が喧しく論じられている。ただし、中小企業ではとりわけ採用において主に欠員を補充する中途採用が中心に展開されてきたため、どちらかといえば最初から良くも悪くも実質的に「ジョブ型」雇用であったと見ることができる。しかし、大手企業では依然として基本的には職種に関わりなく、新卒新人を一括採用するパターンが踏襲されてきたため、「メンバーシップ型」による弊害が依然と続いている。
  企業は新卒で一律に採用した新入社員に対して、全員を対象に一定期間の新人研修を施した後に最初の配属先を決めてきた。当然のことながら最初の配属は企業の組織事情によるため、採用された新人は自分が望んだ部署に配属されるとは限らない。もちろん多少は本人の希望も考慮されるであろうが、基本的に配属辞令に従わなければならない。

  企業による新卒一括採用から配属に至るプロセスは、“人に見合って仕事を提供する(される)”という意識を従業員に醸成することになってきた。同時に自分の仕事は“与えられるものである”という悪しき意識を陰に陽に植え付けることになってきた。乱暴にいえば主として大企業で展開されてきた新卒一括採用が“仕事は会社から与えられるものだ”という勘違い意識の起因となってきた。この意識は大企業に留まらず日本の企業に就労する者にほぼ共通する認識にもなってきた。
“仕事は会社から与えられる”という意識の先には、“仕事は強制されておこなう”という没主体的な位置づけが待っている。つまり仕事を主体的に「自分ごと」と捉えず、「他人ごと」と捉えることになり、「やらされ」感に陥ることになる。この結果、少しの躓きや失敗に遭遇したならば、「やる気を失う」であるとか「モチベーションがあがらない」というネガティブ感情が助長される。

  企業組織での仕事においてネガティブ感情が蓄積されるならば、次第に「いわれた事はやるが、いわれない事はやらない」という姿勢が醸し出されることになる。当然のことながらこの種の姿勢は、主体的に仕事を自らのミッションと位置づけて展開している者から“協調性を欠く”との評価を受けることにも繋がり、ひいては周囲と軋轢を起こすことにもなる。
「いわれた事はやるが、いわれない事はやらない」という姿勢が高じてくるならば、典型的な「指示待ち」に陥ることは必定でもある。“仕事は会社から与えられる”という意識に浸かっているならば、いつしか“仕事は与えられるのが当然である”という意識が芽生え始める。この種の意識や姿勢は、自らの職務能力の向上を妨げる最大の原因にもなる。そしてスキル形成もおぼつかなくなる。

  これからのビジネス現場では、与えられた仕事を粛々と熟していれば、やがてはよい機会が巡ってくるなどという「待てば海路の日和あり」の諺は通用しない。経年に伴い自然に成長することもない。卑近な例だが、ひな鳥は、常に口ばしを大きく開けて親鳥が運んでくるエサを待っている。しかし、成長するにしたがい、自らエサを探すために巣立していく。いつまでも巣立ちをしないひな鳥に対して、親鳥はエサを運び続けることはしない。いつしか親鳥は巣立ちしないひな鳥を置いてどこかに飛び去っていく。
  仕事は「与えられるもの」ではなく、自分で「勝ち取りにいくもの」である。自分自身の職務経験の蓄積と成長のチャンスを我がものとするためには、貪欲に自分の仕事を創り出すことが必要である。一つの仕事には様々に派生する新たな課題が含まれ、次の仕事に連鎖していくものだ。そしてこの繰り返しが自分の職務経験に蓄積されてキャリアが形成されることを改めて自覚化しなければならない。

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