2020年09月28日号
巷には多くの経営者やビジネスマンの成功談が溢れている。こうした成功談は時に伝説として語られる場合もある。功なり財をなした伝説的な経営者やビジネスマンに触発され心酔している者もいる。あるいは単純に「憧れ」を抱く者もいる。内外のさまざまな成功体験に触れることは失敗体験を学ぶことと同様に大いに参考になる。しかし、他者の成功体験に対する単なる「憧れ」は自分自身の成長に寄与することにはならない。
あくまでも成功に至る経緯や時代背景、さらには成功者の周到性の中から自らの糧とすべき事柄を批判的に摂取していく必要がある。成功したという結果を盲目的に崇め奉ってしまっていては「学び」にはならない。たとえカリスマ的な支持を得ている人物に対しても冷静な批判的視点が肝心だ。
仮にどのように社会的評価が高く万能に見える者でも、所詮は同じ人間でありスーパーマンではない。こうした成功者から「学びとるべき」内容とは、さまざまな逆境や失敗の中で、「何を考え」「どのように行動」をしたか、そしてどのような立場・観点を貫いてきたかという姿勢を批判的に摂取することだ。
とりわけ経営に携わる者の判断とは時に哲学的でもあり、高度な抽象性のある理念から導き出されるものだ。そのため前後の整合性や辻褄が合わないこともある。それをそのまま受け入れていては自分自身の「学び」にはつながらない。無批判な真似や受け売りは正しく盲従となってしまう。そこで「学び」においては常に批判的な精神が必要となる。
自らが属している企業組織の上司や経営陣に接する時も同じことがいえる。盲従することは楽ではあるが、決して自分のためにも組織のためにもならないということだ。自らの仕事を展開していく上で、さまざまな環境の変化に照らし合わせて、自らが属する組織の取るべき方向について、現状に満足せず、常に疑いの目を持つことを忘れてはならない。
一言でいえば「組織の方向は、果たしてこれで良いのか…」と常に問いかけていく姿勢が必要ということだ。常に疑いの目を持つとは、物事を複眼的に考えるということでもある。つまり、あるひとつの事柄を多面的あるいは別の角度から見てみるということだ。少なくとも一面的な情報だけを鵜呑みにしないことである。この視点はダイバシティにも繋がってくる。
物事を複眼的に捉えるためには、思い込みを排した虚心坦懐な情報収集が必要である。錯綜する情報の中から真偽を取捨選択する力がなければ、単に「ああでもない」「こうでもない」という評論に終わってしまう。そこで、自分自身が常に企業組織の方向性を左右する最前線に立っているという自覚をもってアンテナを張り巡らせることだ。このために先ずは組織内部において他部門や他職種との連携や協力を意識しなければならない。そのうえで業種・業態や世代を超えた仕事を通したネットワークづくりを心がけることだ。
現時点で自分が属している部門・部署の殻に閉じこもることなく、外部から刺激や情報を受けることで、自分を成長させ続けることができる。そして受けた刺激や情報は自分の内に秘めず、周囲にフィードバックしてこそ意味がある。これからの働きにおいて私心からではなく客観的で冷徹な判断が求められる。そして、常に「現状」を疑ってみるという姿勢の堅持が健全な判断につながる。
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