2011年10月03日号
ビジネスの世界ではトラブルがつきものだ。顧客や取引先との連絡調整ミスなど、本来はあってはならないことだが、往々に発生するものだ。そこで職場でトラブルが発生したと仮定したとする。
当然にも問題が解決した段階で問題の発生原因究明が行われる。場合によっては担当者の責任が問われる場合もあるだろう。
こうした場合に往々にして当該担当者は「それは○○が悪かったから…」という具合に、「自分の責任」をなんとか回避しようとする行為になりがちだ。
実際に多くの会社において、こうした「責任の回避」が、日常茶飯事といってよいほど見られるが、こうした行為ほど醜いものはない。
責任回避の口実でもっとも多いのが、次のようなものだ。
「みんながやっているから…」
「みんながそう言っていたから…」
「自分だけではなく、みんなが…」
こうした口実は「自分が…」ではなく、「みんなが…」という基準で自分の行動を決定している証拠だ。この態度は無意識に責任から逃れようとする心理が働いているからに他ならない。
「自分の責任」を真正面から引き受ける心構えがなければ、「自分で適切な判断を下し、行動する」ことなどはできない。
たとえば、ある案件について自分が判断を下してよいのか、あるいは上司の決裁をあおがなければいけない案件なのか。こうした判断が求められる。この見極めは自分に課せられている責任の把握がしっかりと出来ていない者にとっては難しい。この見極めができない人は、何事も上司を頼るか、逆に自分勝手な判断で周囲を混乱させる。
自分で物事の判断を下せない部下に、上司は大事な仕事など任せられないのは当然のことだ。その結果、自分でも新たな仕事にチャレンジしていく機会を逃してしまう。これではますます成長できなくなり、負の連鎖に陥ってしまう。加えて、「みんながやっているから・・・」という発想からは、他人に追従する行動しか生まれない。こんな人の職場における価値は、限りなく低くなってしまうのは当然だ。
しかも、責任逃れの気持ちのままでいると、いつのまにか自分で物事を考え判断する力を失ってしまう。これはいわゆる「指示待ち人間」の典型的なパターンだ。
自分自身が職場での存在価値を高めていくためには、「自分でこう考えて、自分でこう判断した」と言えるように常に自律した行動の心がけがあってのことだ。
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