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週刊Neue Fahne

2018年12月03日号

管理職の役割は「業務管理」に終始するだけではない

企業組織における役職とは役割であり機能である。そして職位の上昇に伴って職務内容の抽象度は徐々に増してくる。自らの役割や機能に無自覚な管理職がいつまでもプレイヤー意識に留まっていては、部下や組織をマネジメントすることなどできない。部下は管理職の明確な使命感に基づいた姿勢と態度行動に共感をするものである。管理職の仕事には、多くの「業務管理」が中心になってくる。確かにこれは一面で正鵠を得ている。
  一方で「業務管理」を重視するあまり、自らの権威で“部下を指示通りに動かして部門の成果を上げることだけが自分の仕事である”と勘違いしている管理職が多い。確かに日常の定型業務であれば業務指揮に基づいた「業務管理」だけで事足りる場合がある。しかし、管理職には単なる日常の「業務管理」に自らの仕事を限定することなく、部下にはできない仕事ができてこそ管理職の存在価値があるとの認識が必要だ。

  管理職は非日常的に発生する事項を上手にすばやく処理する判断を部下に過度に求めてはならない。実際にこれらを即決しなければならないのは管理職である。何故ならばこの種の判断は非日常的な事柄であるため、ある種の感覚的対応も含めた断即決が迫られるからである。管理職とは、部下にはできない仕事ができてこそ、また部下には解決できない事柄に直面した段階で自らが前面に出てこそ、管理職の存在意味がある。
  つまり、管理職に求められるのは単なる「業務管理」というコントロールの側面だけではなく、さまざまな状況に対するやり繰り、采配というマネジメントである。部下は非日常的に発生する事柄への管理職の対応を観察している。そして部下は管理職の仕事への姿勢や価値観を見抜くのである。「業務管理」に終始するだけの管理職が口にする「部下育成」などは、所詮自らと同種の集団を創り出す弊害にしかならない。部下から“力量を見抜かれる”管理職ほど哀れ極まりない。

「上司が部下を把握するには最低でも3ヵ月かかるが、部下は上司の特性を3日で見抜く」という言葉がある。部下は管理職による非日常的に発生する業務への対処のやり方を見て、上司の業務レベルとマネジメント姿勢を瞬時に見抜いてしまうものである。とりわけ、困難な業務の部下へのたらい回しや責任転嫁などの兆候が微塵でも醸し出されたならば、部下は一気に不信感を抱くことになる。
  管理職は理由はともあれ「部下の失敗の最終責任は自分に帰すものである」という自覚がなければならない。部下の仕事に細かく口出しする管理職の深層心理は、部下の責任を負いたくないという自己保身と表裏一体である。管理職の自己保身は結果として、仕事の抱え込みを生み出し、部下にチャレンジするチャンスが与えられず漫然たる定型業務の繰り返しに終始させる。これでは部下が成長するはずもない。

  チャンスが与えられない部下は何時しか発想も行動も萎縮することになる。上司から単純に与えられる仕事の指示を“つまらない仕事”だと思うのであればまだしも、往々にしてこの環境に順応し発想も行動も弛緩した状態に陥ることになる。部下を委縮した状態にさせてしまうことになる。
  管理職は部下の指導・育成で心しておくべきことは、「この枠の中でやってくれれば、あとは任せる。責任は私が取るから、やってみろ」という姿勢を貫くことである。積極的なチャレンジによる失敗を、貴重な財産ととらえられないような上司では、部下を指導・育成することなどはできない。

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