2018年11月19日号
企業の不祥事が後を絶たない。不祥事が発生しているケースは現場責任者レベルの場合もあれば、管理部門、経営者、さらにはエース営業マンなど多岐にわたっている。しかし、いずれのケースにおいても基本的にはマネジメントが機能していないということだ。不祥事が発生するたびごとに第三者委員会を設置した原因究明やらが声高に叫ばれ、しばらくすると何がしかの「報告書」が出される。このパターンも最近では形骸化している印象を受ける。
不祥事は一言でいえば企業のマネジメント問題だ。マネジメントとは「組織に成果をあげさせるための道具、機能、機関」と定義されるが、この前提には各レベルでマネジメントを担う者が「責任を持って日常業務に臨む」ということだ。従って、不祥事が発生する組織では「責任概念」が弛緩しているか、そもそも「責任概念」の無い者がマネジメントを担っていることになる。
「責任概念」は地位や役職に付帯するものでは決してない。ましてどれだけ実力があっても自らの権力や立場・肩書で物事を判断する者に形成されるものではない。何故ならばこの種の者に限って、立場や肩書を利用して強制的に部下を服従させ、年齢、経験、学歴などに過度なこだわりをもち、しまいには上役や派閥の威を借りて、権力を発揮しようとするからだ。このため、この種の者の下では、往々にして組織内に面従腹背が蔓延ることになる。
「責任概念」は、組織の目標を設定し、組織設計に基づいて周囲に対して動機付けやコミュニケーションをはかり、組織構成員への適正な評価に基づいた教育や育成を実践するという使命を担うことができる者に形成れる。また、“そもそも上下間での知識や実力、経験の差は所詮知れたもの。部下のほうが優れている点もあるかもしれない”という人間観に宿るものだ。
「責任概念」を明確にするためには“自分自身も部下をはじめとする周囲の人びとと共に育つものだ”という謙虚な姿勢が必要になる。従って、組織で発生した問題や課題の解決が困難であればあるほど、「自分だったらこう考える」という態度が必要になる。仮に会社の帰趨を決するような組織内での行為、不誠実な発想や意見が噴出した場合でも、毅然とした態度で方向性を指し示す胆力を保持しなければならない。
同時に、周囲に対して「こうしたケースの場合には、こうした結果が待ち受けている」という納得感のある明解なヒントを示すだけの最新の情報を取得する勤勉さがなければならない。つまり、謙虚さを持ち、好奇心旺盛で、勉強熱心でなければならないということだ。
マネジメントの大前提は各レベルでマネジメントを担う者が“自らの仕事をミッションとして捉え、自らの気概のある働き方を堅持した行動を展開する”ということである。このためには自らの使命を周囲に対して言葉として発していく必要がある。
つまり、会社という組織体を通じて、“自らが社会に対してどのような価値を提供しようとしているのか”、“仕事を通して自分の理想とする将来イメージ”を自分の言葉で臆せずに語ることである。
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