2018年07月23日号
働く者一人ひとりに経営感覚が求められる時代になっている。経営感覚とは経営者だけのものではなく、仕事を展開する上で職位・役職に関わりなくすべての働く者に求められるということだ。しかし、経営感覚は単純な日常業務の繰り返しで身につくものではなく、日常業務の延長線上に自然発生的に醸成されることはない。経営感覚を身につけるためには、非日常的な自らの意識行動が重要となる。日常業務に埋没することなく不断の学習や学びが不可欠であり、自らの仕事をルーチン化した働き方に終始させてしまっては、単純時間労働に自らを落し込めることになる。
そこで、全ての働く者には、常に“時代の変化をとらえる”という問題意識を堅持し、ともすると“現状維持”に陥りがちな意識を廃することを怠ってはならない。とりわけ、部下の育成に責任を持つ立場の管理職が経営感覚を自ら研くことを怠るならば、組織全体が単なる“単純時間労働の集団”に陥ることになる。そして管理職自身も愚痴や不平不満の虜になる。
管理職は“自からをマネジメント”しながら、進んで経営に貢献できる場所に身を置き、自分自身を成長させていかなければならないということだ。管理職が自ら先頭に立って経営感覚を研くための修養を惜しんではならない。もちろん、部下に対しても外部環境への変化を恐れず、敏感に変化を受け入れる意識を醸成させていかなければならない。管理職は、常に自己の働き方や仕事のやり方を見直すだけではなく、“前例や経験に囚われることのない実践”を部下に示していかなければならない。
このことは管理職が経験を積むほど“自ら勉強を惜しんではならない”ということでもある。部下に教えようにも、教えるべき新しい情報を持っていない管理職、部下に対して納得性のある説明や意味と意義を伝えることができない管理職は、日々陳腐化する経験則に囚われて部下の能力を適切に引き出すことができないことになる。こうした管理職は往々にして部下の意見には文句ばかりつけることになり、最終的には部下から嘲笑の的となる。
当然のことながら管理職の役割は多岐にわたる。部下の意見を吸い上げたり、意見調整をしたりする「まとめ役」も管理職の仕事である。しかし、それだけに埋没しているならば「調整屋」の域を出ることはない。管理職は、自分で企画を立て、問題解決を提案し、部下以上に改善・改革に貢献しなければならない。この姿勢を堅持する姿勢を示し続けることが、部下に対して何よりも重要な指導・育成となる。
一言でいえば「この上司からは、学ぶことがたくさんある」と、部下が思えるような管理職でなければ、管理職としてのガバナンスが効くはずもないということだ。
過去の経験だけにあぐらをかいて、部下より一段高い立場から「まとめ役」に終始する管理職は、最も唾棄されなければならないし、早晩退場を迫られることにもなる。部下は自分の提案や意見に対しての上司から「代案なき否定」に対して嫌気がさすだけではなく、無責任な姿勢と映るだけだ。管理職は自分の属する組織の課題や将来について責任を持たなければならない。そのうえで、部下に対してやるべき仕事を明確し適切な指示を間断なく与えていかなければならない。
管理職が採るべきスタンスは部下への支援や協力を惜しまず、部下に“自身の力で与えられた課題を完遂する”という体験を会得させることである。管理職は部下に嫌われることを恐れる必要もない。また、ことさら職場に“和気藹々としたムード”を求め、“良好な人間関係”という抽象的な雰囲気を重視する必要もない。あくまでも自らが所管する業務の遂行に向けて、部下の能力を最適に発揮させるために何が必要であるのかを考え抜くことである。
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