2011年07月04日号
他人の性格についてとやかく言う人がいる。また、自分は「○○の性格だから…」などと言う人もいる。しかし、「性格」などは簡単に変えることは出来ないし、他人の性格をとやかくあげつらうことは意味の無いことだ。それは人それぞれ違った環境の下で育ち、その「生育履歴」規定されてしまうものだからだ。自ら変えることが出来るのは意識した自らの行動だけである。
企業人、組織人として働き始めたならば、最初に属した組織環境にどうしても影響を受けるものだ。よく「最初の職場での体験が大きく左右する」であるとか、「最初に指導された上司の善し悪しで、決まってしまう」と、いわれるのはこのためだ。特に一旦身に就いてしまった悪い体質やクセを払拭していくのはなかなか難しいものだ。中途採用者が新たな職場でどうしても前職と比較したりして、新たな職場に違和感をもったりしてしまうのもこうしたところに「遠因」があるのかもしれない。
会社という組織も同じことがいえる。創業まもない時期であれば、組織全体が色々な思考錯誤を繰り返していくため、自分の行う業務範囲の変化や新しい仕事内容が増えることが常態化しているので、個々の構成員は「変化」を「変化」として常に受け止められる。
時を経るにしたがって、組織を構成する人員も増加し業務部門も細分化され始める。こうした組織の発展期では、一人ひとりの構成員が担当する業務内容も次第に固定化しはじめる。こうした部門の確立や一人ひとりの担当部署の明確化は、組織体として効率化されてきたと受け止める。
ここに落とし穴もある。組織体として個々の部門や担当部署の業務領域を明確して、効率化(分業化)していくことは、それぞれの領域を守るという意識が芽生えてくるからだ。つまり、与えられた自部門や部署に長く従事すればするほど、愛着と同時にそれぞれの構成員の中に「既得権意識」が生まれてくるからだ。
会社組織内の「既得権意識」とは、長い社歴の中で部門・部署、あるいは個人に蓄積されてしまうものだ。たとえば、会社組織には往々にして、どう考えても非効率な作業や誰が始めたのかは全く不明だが、なぜか誰もが踏襲している行事などかある。こうしたことを改めようとすると、なぜか何処からともなく圧力がかかり、改革の動きが潰されてしまことが起こる。
明確な反対が表明され公然とした議論が沸き起こるのであれば、組織体としては活性化しているので問題はない。しかし、どこで、誰が決めたのかも不明なことが、暗黙の了解として「噂話」のように広がり、改革の動きが潰されるということが起こる。こうした段階に至ると、組織体は死に体と化していくものだ。
会社組織が死に体に陥っていくのは、組織を構成する一人ひとりの「これまでと同じ」であることに安住してしまう意識だ。仕事上で「これまでと同じ」ことを繰り返すことは、非常に楽なことでもある。そして、自らの「既得権」を守ることでもある。しかし、こうした意識は劇的な環境変化に対応できなく絶滅した恐竜と同じ道が待っている。時には「会社組織をぶち壊す」という気概ある働き方が必要だ。
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