2011年05月23日号
自分自身が組織・集団に対して「どのような行動によって貢献しいてくのか」という考え方は、単に自分の職務能力の向上だけではなく、組織全体の成果に目を向けることだ。常に自分の「貢献」を問い続けるということは、自分自身の可能性を追求するということにつながる。
P.F.ドラッカーは、リーダーシップは天性のものではなく、誰でもが習得することができるといっている。しかし、何もしないで自然に習得できるわけでは決してない。いうまでもなく、個々人の積極的な「ものの見方」「考え方」に基づく目標の設定が基本となってくる。そして、この目標の達成に向かって自らが属している組織・集団に対して自分自身が「いかに貢献していくか」という意欲が前提となる。
組織・集団への「貢献」に対して、それは「滅私奉公」ではないかとの反論もある。
曰く
・確かに「貢献」の重要性は理解できるが、自分がリーダーシッ プを発揮し、困難な仕事にチャレンジすることの必要性を感じ ない。
・自分は組織・集団に対して責任ある立場を望まないし、慣れた 仕事を続けていたい。
・仕事は生活のためなので余計な苦労をしたくはないし、ラクな 仕事を繰り返していたい。
こうした考え方の根底にあるのは、「自分ひとりががんばっても何も変わらない」という具合に自分で能力の限界を設けていることだ。これでは自分の成長はストップしてしまうことになる。 同時にこの考えた方は、「ひとりぐらい手をぬいても大した影響はないだろう」という投げやりな姿勢でもある。このような考えは、いずれも自分の仕事人生をつまらないものにしてしまう。どのような理屈を付けようが、主体化した仕事意識を持っていなければ、それは、自分にとって不自然な働き方ということだ。
仕事というものは職場のさまざまな部門・部署、周囲との連携を経て、組織全体で達成されていく。ひとりでできることに限界があるのは確かだが、それぞれが自ら主体的に力を発揮することで大きな成果が生み出される。一人ひとりが今よりも広い視野と目標を持つことで、いままでにない大きな成果を手にすることが可能となる。
組織全体の目標に目を向け、その目標に対して自分が果たすべき役割を自覚して取り組む姿勢が貢献意欲だ。その結果から得られる達成感や満足感が仕事人生に代え難い「宝」となって蓄積されてくる。
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