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週刊Neue Fahne

2015年11月02日号

管理職は周囲から「常識がない」と思われてはならない

 ビジネスマナーは社歴の長さとともに自然に磨かれるものでは決してない。誰しも新入社員の時代にビジネスマナー研修は受けるものだが、これはあくまでも基本に過ぎない。企業人にとってビジネスマナーの欠如は致命的なものとなる。どんなに真面目で、性格がよくて仕事熱心でも、外見、言動はもとより相手に対する所作がきちんとできなければ、周囲から「社会常識のない無教養な人」と判断してしまうものだ。
「社会に出て間もないのだから、まだ新人だから多少マナー違反があっても許される」と考えているならば、企業人としては失格である。また、年齢に関わりなく一般社会常識レベルのマナーの習得は大前提である。

 管理職の中には一般社会常識レベルのマナーを単純に新入社員時の課題であると認識している者がいる。これは、ビジネスマナーを挨拶や敬語の使い方のみに矮小化して捉えているからだ。従って、管理職の中には経年とともに周囲に対して挨拶や言葉使いを軽視する傾向が生まれている。特に部下との接し方で横柄な態度としてあらわれる。ビジネスマナーの欠如とは、日常の業務行動において周囲から「どことなく違和感(変だ)がある」と思われる行為・行動だ。実はビジネスマナーの善し悪しとは、単なる型ではなくその人の何気ない仕草や雰囲気のなかにあらわれるものだ。
 管理職が周囲や取引先に配慮し、相応の敬語や立ち振舞を取るのは当然のことである。一方で、いくら慇懃に振舞うことができたとしても職種や職位に相応するビジネス上の知識はもとより、組織人に必要な各階層に求められる役割についての知識や意識が備わっていない管理職がいる。こうした管理職は無能の烙印を押されるものだ。

 単純な対人関係に必要なマナーは、“雨の日に狭い道で傘を持った者同士が互いに傘を外側に傾け、相手に滴がかからないように配慮する”という「江戸しぐさ」レベルの意識があれば十分に応用は効くものだ。つまり、職場の廊下や仕事の現場で直接的に自分とは関係のない来訪者や取引関係者に対して軽く目礼して挨拶をする行為が、会社全体の好感度をアップさせるからだ。
 この種のマナーは、ビジネスに限らずあくまでも社会生活上で、“他人に不快感を与えてはならない”という基本的な社会性の問題である。適切な“しぐさ”ができない者はビジネス社会で仕事をする以前の問題であり、社会での営みからは排除されていく。もちろん管理職でありながら職場の内外でこの種のマナーから逸脱する者は論外である。

 管理職にとっては「ビジネス常識」もマナーの一部である。従って、管理職が“無能の烙印を押されない”ために意識する必要があるのは、職位に応じた役割意識という意味でのビジネスマナーである。管理職はビジネスマナーを“ビジネススキルを含めた観点・方法の常識の取得“と同レベルと捉える必要がある。企業は、生まれも育ちも世代も異なる“他人”が集まって、ひとつの目標を成し遂げようとする組織体である。この目標達成に向けた諸行動において自らの職位に応じた役割を意識できない管理職はビジネスマナーが欠如していると受け取られるということだ。
 管理職の中には現場で発生している事柄や部下の状況を自ら咀嚼することなく丸投げして上級に報告をあげ、逆に上級からの指示を「上層部がいっているから…」と翻訳することもなく部下に丸投げして伝える者がいる。こうした管理職は、職位に応じたビジネスマナーが欠如しているということになる。
 職位や役割に応じた行動の欠如した管理職がいくら部下に対して“しぐさ”レベルのマナーを説いても意味もなければ説得性もない。管理職にとってのビジネスマナーとは、職位に応じた行動を行うという意味である。このマナーが確立していない管理職は周囲から「常識がない」と映るものだ。そして、この常識の無さをもっとも早く感じとり、敏感に反応するのは部下である。

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