2015年04月20日号
「好きこそものの 上手なりけれ」と茶人・千利休が詠んだ。「好きこそものの上手なれ」ということだが、確かに自分の好きなことは、熱心に工夫をするのでますます上手になる。逆に“本当は好きではないけれど、仕事だから仕方がない…”あるいは“やりたくはないが、食べるために仕方がないのでやる”と思いながらの仕事姿勢は、上達や職務能力の向上と無縁である。
精々のところ時間の切り売りに過ぎない。
人間は自分の一生の半分以上を営利・非営利を問わず、社会との関わりで生きていくものだ。社会との懸け橋は仕事ということになる。社会とのかかわりを持つということは、あくまで何がしかの仕事を通してなされるものだ。従って、仕事を「好きになれない」というのでは、人生を無駄に過ごしていることにもなる。
今日は一人ひとりの頭を使った成果の上がる「働き方」が鋭く問われ、単純な肉体的な「動き」は機械が代用してくれる時代だ。つまり、「好きではないけれど」「しかたないからやる」という発想で仕事をしていては、上達することを自ら放棄しているのと同じことを意味することになる。その結果、自分自身を不幸な環境に導いてしまう。
自らの仕事の質を高め、よりよい内容にブラッシュアップしていくために一番大切なことは、まずいま、自分に課せられている仕事を一も二もなく、好きになることしかない。
人間とは正直なもので、嫌々やっている仕事は、どうしても能率が落ちる。ごまかしがきかない。今の仕事を「好きになって」嬉々としてやるから、自然にアイディアもわいてきて、結果として密度の濃い仕事につながる。
「天職と思える職につきたいが、巡り合えない」であるとか「適職が見つからない」と右往左往するひとがいる。しかし、最初から「天職」や「適職」などあるはずもないと考えた方がよい。一つの一つの仕事をしっかりと自分の頭で考えて実践していくことで、自然と仕事が自分の「天職」なり「適職」になっていくものだ。
自分がどんなに他人よりも優れていると思っても、与えられた課題に打ちこめずにいては、その能力を開花させることはできない。結果とは“少しだけ普通の人より努力しただけ”の集大成ともいえる。仕事を本当に好きになり、愚直なまでに繰り返し努力している人間にはかなわないものだ。日常的な“少しだけの努力”の差が無限大にもなって跳ね返る。
曲がりなりにも職場経験をしているはずの管理職は、“仕事を好きになる”ことの意味を若手・新人に伝えなければならない。
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