2014年07月21日号
一般の社員が上司や会社への不満を居酒屋で吐露する光景をよく見かける。度が過ぎるのは論外だが、ある意味で仕事上での「悩み」を晴らしていくための「健全」な行為でもあり、時には微笑ましい場合もある。
もっとも、自らが果たすべき「利益貢献」を度外視し、自分の責任や役割を棚上げして、他責に走る発言を繰り返す場合に管理職は、間髪入れずに注意を促していかなければならない。自責の観点が無く他責を繰り返す者は、結果的に組織への「ぶら下がり」を繰り返すだけだからだ。
また、管理職が安易に部下の不平不満に同調しているならば、管理職の職場における統治機能は一気に崩壊する。
管理職は部下に対して常に部下に対して“仕事は上から押しつけられてやるものではない”という姿勢を堅持させていかなければならない。また、個々の部下の適性を可能な限り読み取り、「少し背伸び」をさせる程度の業務を振り当てていくことが必要だ。管理職の側が「まだまだ部下には任せられない…」との思いで、自分が仕事を抱えてしまうならば、決して部下の自律的な成長は望めなくなる。むしろ成長の芽を摘み取る結果にもなりかねない。
併せて、部下の一人ひとりに「自らの課題と目標を設定」させ、それをクリアーしていくための努力をさせていかなければならない。人は自ら設定した目標に対する「達成度合い」が本人の内的モチベーションの原点となるものだ。内的モチベーションを発揮させることができなければ、報酬等でいくら外的な動機づけを繰り返しても意味がない。
仕事を通して蓄積された自らの行動に対する自信、昂揚感は一人ひとりの「働き方」や「仕事のやり方」の改善にも繋がるものである。問題は、管理職自身が仕事を通した自信、昂揚感をしっかりと部下に示すことができるか否かだ。
管理職自身が仕事を通した昂揚感を持てないのであれば、管理職の役割・機能を発揮できるはずもない。役割・機能を発揮できない管理職は、部下からの不信感を招くだけだ。
実は部下の側は、こうした管理職の姿勢を非常によく観察している。仮に管理職が率先して会社批判を展開しようものならば、部下の側は表面的には同調するが内心では「なぜ、こんなネガティブな管理職の下で仕事をしなければならないのか…」という至極当然の感情を抱くことになる。あまつさえ、こうしたネガティブ管理職を放置している会社組織に不信感を持ち始める。
管理職は自分の一言は部下にとっては非常に重い存在であるということを自覚していなければならない。管理職は自分の上司の視線を当然気にするであろうが、それにも増して「部下からどのように見られているか」という緊張感を持っていなければならない。
管理職は部下から自分の一挙手一投足を「監視」されているという意識を持つ必要がある。
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