2010年11月29日号
会社という組織では、「リーダー」の存在は不可欠だ。しかし、組織全体が一人の優れた経営者のリーダーシップに頼っているだけでは、将来の発展にはつながらない。まして中小企業にありがちな一人のトップリーダーの発言が強ければ、強いだけ部下はそのリーダーに頼ってしまい、結果的に自分の頭を使わないことに馴れてしまうものだ。強い組織にあるためには、さまざまな「リーダーシップ」を発揮する人びとが存在していることが必要ということだ。
これからの企業組織では、オーナー会社であったとしても社員一人ひとりがトップや上司からの指示を待つのではなく、自律的に「自分の考えに基づき、行動を起こし、周囲の人に影響を与えていくこと」が求められている時代だ。こうした時代に必要される「リーダーシップ」とは、単に上下関係に基づくパワーを行使するのではなく、周りに影響力を与えながら「ひとや組織を動かすことができる」という意味での「リーダーシップ」だ。
よく「あのひとにはリーダーシップが備わっている」とか、「あのひとにはリーダーシップがない」とかといういい方をする。また、「リーダーシップは、天性に宿っているものだ」とか「リーダーにはカリスマ性が必要だ」という主張がある。
こうした考え方に基づけば、生まれながらにリーダーとしての資質を備えた者と備わっていない者とが存在していることになる。あるいは組織活動ではカリスマ性を備えた者に導かれ、周りが従うものであるという構図がイメージされがちだ。一昔前にはやった武将や名将と自らの行動を当てはめて一喜一憂いる必要もまったくない。
経営学者の間では「リーダー」については、「カリスマ型」であるとか「奉仕=サーバント型」などの色々なスタイルがあるとされている。しかし、「どのようスタイルであれ、リーダーシップとは上司や先輩だけが部下や眼下の者に対して発揮していればいいというものではない。
さらに、「一般の社員には不用だ」といった考え方は誤りだ。一人ひとりにとって立場や役割に関わりなく、日常の職場実践において必要なのは、自分自身の行動が他者にどれだけ影響力を与えることができるかということが重要なのだ。
つまり、「リーダーシップ」をとるということは、自分の肩書きや立場とは無関係に、自分自身の行為・行動に対して他者に同調を求めるための、はたらきかけを行いながら可能な限り周りを巻き込んでいく行動を取るか取らないかが、大きな試金石であるということだ。
このように考えると「リーダーシップ」は、職場の場長や上席者などに限定された役割ではない。いわゆる「部下」の立場から発揮されるリーダーシップも存在するということだ。組織において当事者として、組織に働きかけ、影響を与えながら組織目標に貢献できるひとが、「リーダーシップ」のあるひとということだ。
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